Works
The World Compass(三井物産戦略研究所機関誌)
2001年5月号掲載
高齢化時代の日本経済

 現在の日本を覆う閉塞感が、バブル崩壊で一気に噴き出したさまざまな構造調整圧力に根差していることは間違いない。それに加えて、より長期的な問題として横たわる「高齢化」の流れが、将来に向けての不安感を一層深めている。
 高齢化というと、日本の将来を語る際には決まって登場する言葉だが、この表現には常に暗いイメージがつきまとう。それは、私たち一人一人が、日本の将来像に、自分自身が年を取り体力、気力を失っていく実感を重ね合わせて感じてしまうからだろう。
 しかし、そうしたイメージにとらわれすぎると、日本の将来像を見誤る恐れがある。そこで、本稿では、高齢化で私たちを取り巻く経済環境がどのように変化するのか、マクロの視点で整理してみたい。


高齢化の影響−成長率と生活水準の予測−

 「高齢化」とは、ある国や地域の人口に占める高齢者の比率が高まることを指すが、日本の高齢化は、「長寿化」と「少子化」という、二つの大きな流れが組み合わさった結果ととらえることができる。長寿化は、医療技術の進歩や生活水準の向上の結果、人々が長生きできるようになったということであり、基本的には喜ばしいことだ。もう一方の少子化についても、医療水準、生活水準の向上で乳幼児の死亡率が低下したことの反映という側面もあり、その限りでは、やはり喜ばしいことといえる。
 ただ、近時は、前の世代の人口を維持できないところまで少子化が進んできた。その当然の結果として、将来、人口は減少する。この、いわば「行き過ぎた少子化」については、女性の晩婚化や、これまでの雇用形態では出産・育児が不利であることなど、さまざまな社会的な背景が考えられる。しかし、ここでは、それらについての分析、評価はひとまずおいて、少子化を与件として、その結果である「高齢者比率の上昇」と「人口の減少」という現象が、日本の将来をどう変えていくのかにしぼって、議論を進めていく。
 まず、前提となる人口と高齢者比率の動きを確認しておこう。図表1は、国立社会保障・人口問題研究所の「日本の将来推計人口(平成9年1月推計)」による総人口の中位推計値と、同じベースによる総人口に占める高齢者(65歳以上)の比率の推移を示している。

図表1 日本の総人口と高齢者比率の見通し

 図表1に見られる人口の減少は、需要・供給両面で、経済の成長力を低下させる要因となる。また、高齢者比率の高まりは、生産活動に参加する人の割合の低下につながることから、経済全体としての需給逼迫、さらには、供給力不足から国民一人ひとりの生活水準が低下することも懸念される。
 それでは、成長力はどの程度低下すると考えられるのか。また、本当に生活水準は低下するのか。この二つの問題意識を持って簡単な試算を行ってみた。図表2はその試算結果である。成長力の指標としての実質GDP成長率と、私たちの生活水準を示す一人あたり家計需要(個人消費と住宅投資の合計)の水準を指数化したもの(2000年=100)の推移を表している。

図表2 実質成長率と一人あたり家計需要の試算結果

 これらはいずれも、前述の人口推計をベースに、経済全体での供給力の伸びを推計することで算出したものである。それは、経済の趨勢を規定するのは供給力の動向であり、長期的に見ると、供給力が所得を生み、所得が需要を生むと想定されるからである。なお、この推計にあたっては、年代別・性別の労働力率や失業率、資本装備率と労働生産性の関係など、基本的な経済構造が現状のままであることを前提としている(試算の詳細については補論1を参照のこと)。
 試算によると、成長率は低下を続け、2010年代後半には0.8%、2040年代後半には0.2%程度となる。辛うじてマイナス基調にはならないが、これまでの実績に比べると、相当に低い値といえるだろう。一方、一人あたり家計需要の水準は上昇を続け、2020年で123.5、2050年には172.0と、こちらは相当に高い水準が見込まれる形になっている。
 この試算は、前述のとおり、基本的な経済構造を現状のままと仮定したものであるが、その前提をさまざまに変えてみても、程度の差はあるが、「成長率低下、生活水準向上」という大きな方向性は変わらない(補論2補論3参照)。


「低成長=不況」とは限らない

 低成長と高生活水準という組み合わせからは、「ゴールデン・リセッション」という言葉が想起される。これは、フィナンシャル・タイムス紙のエディター、ダニエル・ボグラー氏が1998年に日本を訪れた際の印象をレポートした記事で、バブル崩壊後の日本経済の状況を表すのに用いた表現である。
 90年代の日本では、「不況だ、不況だ」と騒いでいるが、人々の生活水準は高く、欧米諸国に比べれば失業率も犯罪発生率も低い。しかし、企業活動、生産活動の側からみると、不況であることはまぎれもない事実。経済成長の鈍化に伴って企業収益は低迷を続け、大型の企業倒産も相次いだ。倒産した中小企業のオーナーや、勤め先のリストラで職を失った人々をはじめ、苦境に陥った人も決して少なくはない。豊かさのなかの不況。「ゴールデン・リセッション」とは、そうした状況をとらえての表現である。
 成長率の低下と生活水準の向上が見込まれる高齢化時代には、このゴールデン・リセッションのような状況が延々と続くのだろうか。結論から言うと、答えは「No」である。確かに、21世紀の前半には、趨勢的に成長率が低下する。90年代のレベルを下回ることも想定される。しかし、成長率が同じであっても、こと景況感という視点からすると、まったく違った状況が予想されるのである。
 90年代の不況の一つの側面は、供給力の伸びに需要が追いつけなかったことに起因している。80年代末の東西冷戦の終結に伴って進んだ経済のグローバル化と、国内のさまざまな規制緩和によって、90年代の日本は、低賃金の国・地域を中心とする海外の供給圧力をまともに受けることになった。その一方で、バブル崩壊の影響で消費も設備投資も伸び悩み、供給力過剰、需要不足が拡大した。その結果、企業間の競争が激化し、収益の低迷、企業倒産の急増をもたらした。現下のデフレ現象も、供給力過剰、需要不足の帰結である。
 それに対して、高齢化時代の低成長は、供給力の伸びの鈍化によるものだ。言い換えれば、図表3に示した程度のペースで需要が拡大すれば、需要不足は拡大せず、デフレ圧力は生じないということである。高齢化時代には、好況と不況を分ける成長率のレベルが低下するのである。
 同じことは、70年代の初めにも起きている。二桁に近い成長が当たり前だった高度成長期から、巡航速度が4、5%程度の安定成長期への移行である(図表3)。高度成長期における不況の年としては65年があげられるが、この年の成長率は5.7%(暦年ベース)である。供給力の伸びが鈍化した安定成長期の基準でいえば、この値は相当な好況を意味するものだ。
 それと同じように、現在の尺度でみれば不況と判断されるような低成長であっても、高齢化時代の新しい尺度の下では、それは必ずしも不況を意味するわけではないのである。

図表3 実質成長率の推移


課題はリスク

 生活水準が向上し、不況でもないとなると、高齢化時代の経済環境は決して悪くはないということになる。しかし、現在の経済構造のままでは不安な点も残されている。それは、企業活動、生産活動における不確実性、すなわちリスクの拡大である。
 企業の生産活動は、最終的な需要者である私たち一人ひとりのニーズに対応して変化していく必要がある。しかし、人々のニーズは、生活水準が向上するに従って、複雑化し、見通しにくくなっていく。企業が新しい商品を世に送り出しても、それが受け入れられるかどうかは、ますます不確実になる。その結果、企業活動におけるリスクの総量は、確実に増加する。
 このとき、経済全体としてのリスク処理能力が向上しない限り、企業が新しい商品やサービスの創出に積極的に挑んでいくことは難しい。新しい商品、サービスが登場しなければ、私たちの生活水準の向上も限られ、結果的に、図表3で示した程度の低成長さえも実現できない事態も考えられる。
 高齢化時代のリスク拡大への対処としては、大きく分けて二つの方策が考えられる。第一に期待されるのは、リスクの処理を担当する新しいタイプの金融ビジネスの台頭である。ベンチャー・キャピタルや、多彩な投資会社、投資ファンドなど、リスクとリターンをさまざまに切り分け、また組み合わせて流通させるビジネスだ。求められるのは、旧来の銀行システムの再建ではなく、新しいタイプの金融ビジネスの創出である。これは、社会的なニーズであると同時に、既存の金融機関や事業投資を行ってきた総合商社にとっての、大きなビジネスチャンスでもある。
 第二は、ビジネスに失敗した場合の痛みを緩和するための公的な枠組み、いわゆるセイフティ・ネットの再構築である。破綻したビジネスを処理する仕組みの整備や、失業者支援の拡充がそれに当たる。これらの分野では公的な取り組みが前提となるため、実現に向けては、高齢化時代の経済環境をしっかりと把握し、人々に伝えてコンセンサスを形成していくことが必要になる。
 90年代の不況のもう一つの側面は、リスク処理のシステムが崩壊したことに起因している。いわゆる護送船団方式によって大半のリスクを負担していた銀行セクターをはじめ、多くの企業の資産基盤が、バブルの崩壊に伴って大きな痛手を負った。その結果、経済全体として、新しい企業活動に伴うリスクを負担することができなくなり、企業活動が停滞したのである。
 従って、高齢化時代のリスク拡大に備える仕組み作りは、現下の不況脱出のための方策ともオーバーラップする。今、必要とされているのは、単なる緊急非難的な不況脱出策でも銀行支援策でもない。10年、20年先を見据えた経済の土台作りなのである。


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