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環境文明21会報 2010年10月号掲載
経済成長の現実−成長鈍化と成長依存症の狭間で−

 2010年6月、日本政府は「新成長戦略」を発表した。産業界をはじめとする経済成長への期待に応えたものだ。一方、公害問題等、経済成長の歪みが大きくなった1960年代後半以来、経済成長を否定的に捉える見方も受け継がれてきている。ここでは、今日の日本において、経済成長をどのように捉えるべきか考えてみたい。


高所得・低成長の時代に

 まず、これまでの日本の経済成長の推移を確認しておこう。図表1は、横軸に実質GDPの成長率、縦軸に2008年の貨幣価値に換算した一人あたり実質GDPをとって、1960年から2008年までの各年のデータをプロットしたグラフである。GDPとは国内で生産された商品やサービスの総額で、その一人あたりの額は、国民の経済的な豊かさの指標と位置付けられる。日本経済は、図の右下方から左上方へと移動してきているが、それは、「貧しいが高成長」の状態から「豊かだが低成長」の状態へと移行してきたということだ。

図表1.日本経済の「成熟化」の軌跡
  • 出所:内閣府「国民経済計算年報」等より作成

 人々の所得水準や生活水準が低い間は、衣・食・住をはじめとするさまざまな分野で、「これがないと生きていけない」という切実なニーズや、そこまでではないにしても、「ぜひ欲しい」とか「すごく欲しい」といった明確な欲求がたくさんあるものだ。そういう欲求に対応する商品は、作れば売れる状態で、経済全体としても、ハイペースで成長していくことが可能だ。しかし、経済成長の結果、人々が豊かになり、欲しかったものを獲得してしまうと、それに追加して何かを手に入れようという気持ちは、次第に切実さを失って、「あった方がいい」とか「ちょっと欲しいかも」といった程度になってしまう。そのため、企業の側が、多くの人々が欲しがる新しい商品やサービスを開発しようと懸命になっても、容易には実を結ばなくなってくる。その結果、経済全体の成長ペースは低下するのである。
 日本経済は、長年の成長の結果、所得水準、生活水準を大幅に向上させたのと引き換えに、成長性を失っていった。この変化は日本に限ったものではなく、経済の発展にともなって必然的に進む「成熟化」と呼ばれる現象である。図表2は、図表1と同じフレームに、世界の主要31カ国の現状をプロットしたものだ。この図では、世界の主要国は図の左上方に位置する高所得・低成長の国々と、右下方の低所得・高成長の国々に、きれいに二分されている。高成長を実現しているのは低所得の新興国、途上国に限られ、成熟化した先進国は、いずれも日本と同様、成長ペースを鈍化させている。これは、裏返せば、成熟化を遂げた経済が成長性を回復することは容易ではないということを示唆するデータでもある。

図表2.2010年の世界主要国の経済状況
  • 出所:IMF"World Economic Outlook April 2010"
  • 注:2010年にGDP5千億ドル超か人口5千万人超の主要31カ国を記載


それでも「成長」が求められる理由

 成熟化を遂げた日本経済が、今後、成長を大きく加速させることは望み難い。経済成長を無理に加速させようとすると、後々問題を引き起こす可能性が高くなる。バブル期のように投資を過度に膨らませれば反動的な落ち込みが懸念されるし、財政支出に頼れば政府債務の償還や利払いが問題になる。環境への悪影響や、資源の浪費をもたらす可能性も高まってくる。
 また、経済が未成熟な新興国や途上国の人々の暮らし向きは、一人あたりGDPの水準でおおよそのことが計測でき、その成長を目指すことの意義は大きい。それに対して、経済が成熟した先進国の経済のコンディションや豊かさは、生産額を示すに過ぎないGDPだけを基準に評価することはできない。先進国の人々の暮らしを評価するには、失業率や所得格差、社会保障制度の安定性、エネルギーや資源の消費効率、政府の信頼度、犯罪の発生率など、多面的な評価が必要だ。
 それにも関わらず、日本では、GDPに象徴される経済規模の成長を求める声は、止むどころかますます大きくなってきている。それも、何の生産を増やそうとか、どのような豊かさを実現したいといった具体的なビジョンもなく、ただ単に成長率だけを問題にする議論が目立つ。その背景には、日本の社会を動かす仕組みの多くが、成長を前提として組み上げられているという事実がある。税財政や社会保障のシステムが最も顕著だが、リスクを処理する仕組みとしての金融システムや、大学受験を基軸とする教育システムと人材登用の仕組みなどでも、経済成長が鈍化すると、隠れていた歪みが露呈してしまう。個々の企業の経営や、個人の人生設計も、諸々の見直しを余儀なくされる。加えて、経済成長には、経済的に恵まれない人々の社会に対する不満を緩和し、社会を安定させる効果もある。現在の日本は、成長なしには社会も経済も回らない、いわば「成長依存症」とでも呼べる状況に陥っているのである。


意義ある成長の追求と成長依存からの脱却

 経済の成熟化にともなって成長性が低下しているにもかかわらず、成長への希求は止まない。その構図は、近年の日本の社会を覆う閉塞感の最大の要因となっている。そうした状況を打破していくための方策は、大きく分けて二つある。
 一つは、後々問題を生じさせない範囲で、人々の暮らしを豊かにする、内容をともなった成長を追求することである。切実なニーズは充たされているといっても、環境や健康、安全などの領域に潜在的なニーズが残されていることは間違いない。地域全体でのバリアフリー化やセキュリティ・システムの構築、利便性の高い交通機関や医療・介護サービスの高度化といったパブリックニーズも残っている。それらへの対応で経済を成長させることは、これからの時代にも大きな意義がある。ただ、その方向で成長を目指しても、そのペースには限界がある。当面は年1.5%から2%程度の成長は可能だと考えられるが、人口の減少ペースが速まる2030年代後半には、0.5%程度の低成長の時代を迎える可能性が高い。
 それを前提にすると、もう一つの、より本質的な方策が必要となる。社会や経済の構造を、成長を前提としないものに改変していくことだ。その作業は、税財政から社会保障、金融、教育など、きわめて多方面に及ぶだろう。そのいずれもが相当な期間を要する困難なものになることが予想されるが、低成長の常態化という厳しい現実が、後押しになりつつある。2008年からの世界的な金融危機にともなう経済の急落を経た今、日本の変革は、静かに動き出そうとしている。


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