Works
読売ADリポートojo 2003年12月号掲載
連載「経済を読み解く」第43回
経済の活力をどう確保するか−世界に広がる「貧困エンジン」のメカニズム−

 ITバブルの崩壊から9.11のテロ、イラク戦争。アメリカ経済はその度に減速したが、これまでのところは深刻な不況に陥ることは避けられてきた。その理由を突き詰めていくと、アメリカ経済が搭載している「貧困エンジン」の存在に行き着く。


移民国家アメリカの活力

 アメリカ経済が深刻な不況に陥らずにすんでいるのは、旺盛な消費需要が下支えしていることが大きい。それは、アメリカ社会には、低所得者層を中心に、満たされていない切実な欲求がまだまだ残されていたためだと考えられる。90年代の好調期に仕事を見付けて貧困状態を抜け出した人々がその典型と言えるだろう。
 単純に失業者数から計算すると、90年代後半に失業状態を脱した人は約400万人。彼らは、さまざまな商品やサービス、さらには住宅に対して、株価が下がったくらいでは抑えられない切実な欲求を持っている。彼らの消費活動によって、深刻な不況に陥ることは避けられたのである。さらに、その予備軍とも言える貧困層は、株価が下落しはじめた2000年時点で総人口の一割を超える約3000万人にも上っている。
 移民の国として成立し、その後も貧しい国からの移民を受け入れ続けてきたアメリカは、常に貧困という重い課題を背負ってきた。貧困は、人道的に、また治安の悪さや都市のスラム化の原因として、解消されるべき問題であることは間違いない。しかし、そこから這い上がろうとする人々の活力は、常にアメリカ経済のダイナミズムの源泉となってきた。
 貧困層は、安価な労働力として企業セクターの選択肢を増やし、ビジネスモデルの多様化をもたらした。また、経済が成長し、人々の生活水準が向上しても、次々に貧しい移民が流入してくることで消費市場の成熟化は回避され、彼らの旺盛な消費需要が市場を活性化させてきた。貧困は、アメリカ経済を前進させる主要なエンジンの一つだったのである。
 貧しい移民を受け入れるのは、その貧困エンジンに燃料を送り込むことを意味していたが、世界レベルの貧困問題への貢献でもあった。途上国への資金援助を軸とする日本の国際貢献が「豊かさの輸出」であるのに対して、米国のそれは、いわば「貧困の輸入」による貢献と言えるだろう。


中国、ヨーロッパも採用

 貧困を輸入して経済のダイナミズムに転換する貧困エンジンは、移民国家アメリカに特有のメカニズムであった。しかし近年では、それぞれタイプは違うが、貧富の格差を利用して経済を活性化させようという戦略が世界の主流になってきた。
 一つは、近年の中国の成長戦略である。13億もの人口を抱えた中国経済を均等に豊かにしていくことは難しい。そこで選ばれたのが、条件の整っている沿海部を先行して発展させ、それに引っ張らせる形で内陸部の成長を促す戦略だった。外資も含めた集中的な資本投下で沿海部を豊かにし、貧困を抜け出す成功パターンを確立することで人々のモチベーションを高めていく。90年代以降の中国の目覚ましい発展は、この貧困エンジンを前提とした成長戦略の結果もたらされたものである。
 さらに、EUも新たに貧困エンジンを搭載しようとしている。2004年春、EUは東ヨーロッパの十か国を新しいメンバーとして迎え入れるが、その大半は今の加盟国に比べてはるかに貧しい国々だ。一人当たりGDPでみると、現在の15か国では、スペイン、ギリシャ、ポルトガルの3か国が1万ドル台とやや低いものの、他はすべて2万ドルを超えている。それに対して新規加盟国は、キプロスとスロベニア以外は1万ドルを下回っており、半数は5000ドルにも達していない。
 これだけ経済格差のある国を迎え入れて、一つの国家連合として機能するのかという声もある。しかし、既に成熟し停滞している国々が、貧しい国々の経済発展を支援しつつ、彼らの活力を取り込もうという戦略は、アメリカとはタイプの違う貧困エンジンを形成する可能性を持っている。


日本の選択肢

 アメリカ、ヨーロッパ、中国と、今や世界の大半が、貧困エンジンを使って経済のダイナミズムを確保している。そうなると当然、日本はどうなのかという話になる。
 日本でも、戦後の復興期から高度成長期にかけては、今の中国と同様の貧困エンジンを使っていた。太平洋沿岸に連なる工業地帯への集中投資、地方から都市への人口移動、高学歴化といった戦略で急速に貧困を克服したのである。それ自体はきわめて素晴らしいことだが、その結果として、貧困エンジンの燃料は失われてしまった。
 日本の場合、アメリカのように移民の受け入れで燃料を補うのは難しい。これは少子高齢化への対策としても議論されはじめているが、既に顕在化している治安の悪化を考えると、相当な覚悟が要るだろう。
 今の時点では、日本の取り得る道は二つ。一つは、EUと同様の、周辺諸国の発展を支援しながら彼らの活力を取り込む戦略である。具体的には、貿易や投資、さらには人材の交流も加えたアジア諸国との経済関係の強化だ。ただし、それには農業や基礎的な製造業など、一部産業の空洞化は覚悟しておく必要がある。
 もう一つは、貧困や格差なしでも経済のダイナミズムを生み出せる仕組みを構築することだ。個々人の消費需要が飽和した日本でも、街並みの整備やバリアフリー化などの公共ニーズは満たされていない。コミュニティーを主体としてこれらのニーズを顕在化させる枠組みが構築できれば、それは、貧困に代わる日本経済の新たなエンジンとなるだろう。


関連レポート

■国家間経済格差の縮小と産業の力
 (三井物産戦略研究所WEBレポート 2014年2月17日アップ)
■「開国」の再定義−産業と文化のOutflowへの注目−
 (三井物産戦略研究所WEBレポート 2011年6月14日アップ)
■2010年代の世界の動きと産業の行方
 (三井物産戦略研究所WEBレポート 2011年3月18日アップ)
■経済成長の現実−成長鈍化と成長依存症の狭間で−
 (環境文明21会報 2010年10月号掲載)
■日本の存在感−アイデンティティの再構築に向けて−
 (三井物産戦略研究所WEBレポート 2010年10月12日アップ)
■世界貿易の構造変化−グローバル化の潮流と金融危機−
 (三井物産戦略研究所WEBレポート 2009年7月10日アップ)
■米国株価下落に見る世界金融危機−歴史的転換点を求める局面−
 (投資経済 2008年12月号掲載)
■日本経済の「今」
 (読売isペリジー 2008年10月発行号掲載)
■労働生産性から見る日本産業の現状
 (The World Compass 2008年7-8月号掲載)
■日本産業の方向性−集中と拡散がうながす経済の活性化−
 (The World Compass 2008年2月号掲載)
■為替レートをいかに考えるか
 (ダイヤモンド・ホームセンター 2008年2-3月号掲載)
■世界を変えたグローバル化の潮流−世界に広がる繁栄と歪み−
 (読売ADリポートojo 2007年11月号掲載)
■「成熟期」を迎えた日本経済
 (セールスノート 2007年6月号掲載)
■世界経済の減速をどう見るか−安定化に向かうなかで漂う不安感−
 (読売ADリポートojo 2007年6月号掲載)
■格差の構図−先進国の貧困化と新興国の経済発展−
 (読売ADリポートojo 2007年4月号掲載)
■日本経済「成熟期」の迎え方−新局面で求められる「常識」の転換−
 (読売ADリポートojo 2006年4月号掲載)
■「豊かさ」と「活力」と−成熟化経済と人口大国の行方−
 (The World Compass 2006年2月号掲載)
■2006年の世界地図−「多元化」で問い直される日本の外交戦略−
 (読売ADリポートojo 2006年1-2月号掲載)
■消費とリテールの国際比較−経済の成熟化とパブリック・ニーズ−
 (日経BP社webサイト“Realtime Retail”連載 2005年10月6日公開)
■再浮上した成熟化の問題
 (The World Compass 2005年4月号掲載)
■旧論再検討(1)米国経済編−ハズレた悲観論−
 (Views text025 2005年2月2日)
■2005年の世界地図−混沌のなかから浮かび上がる新しい構図−
 (読売ADリポートojo 2005年1-2月号掲載)
■米国経済は巡航速度に向けてソフトランディングへ−「貧困層」の存在がダイナミズムの源泉−
 (商品先物市場 2004年11月号掲載)
■「貧困の輸入」で活力を維持する米国の消費市場
 (チェーンストアエイジ 2004年4月15日号掲載)
■ニーズを需要に変えるには−需要項目表の行間に潜む活性化のヒント−
 (読売ADリポートojo 2003年2月号掲載)
■米国経済−繁栄と貧困と−
 (The World Compass 2000年10月号掲載)


「経済を読み解く」バックナンバー一覧

Works総リスト
<< TOPページへ戻る
<< アンケートにご協力ください
Copyright(C)2003