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日経BP社webサイト“Realtime Retail" 連載
「消費とリテールの、過去、現在、未来を読み解く」 第6回 2005年9月22日アップ
これからの「仕事」−人生モデルの変容と新しい「豊かさ」−

 ここまで、産業と消費者の両面から、リテールの未来像を探ってきたが、その二つの視点がオーバーラップする領域もある。人々の仕事の領域である。人々の仕事の在り方が変われば、消費市場とリテールビジネスにも影響が及ぶ可能性が高い。今回は、これからの人々の仕事や働き方について考えてみよう。


「良い大学、良い会社」モデルの崩壊

 日本人の働き方は、今、大きな変化の時期を迎えようとしている。良い大学を出て、良い会社に入ることが、生涯の安泰を保証する、人生における成功モデルであった時代は終焉を迎えつつあることも、その表れの一つである。
 戦後の大学の増設と産業の発展を背景に成立した「良い大学、良い会社」という人生モデルは、落ちこぼれや不登校といった「敗者の問題」を生じさせつつも、大学入試というまがりなりにも客観的な指標に基づく序列付けによって、敗者にもその社会的地位に甘んじることを納得させることで、社会の秩序と安定の維持に貢献してきた。
 そのモデルが崩れた直接の契機は、1990年代の長期不況の過程で多くの企業が終身雇用制を維持できなくなり、リストラが日常化したことにある。リストラの脅威は大企業の管理職層にまで及んだ。人生モデルの重要な要素である「一生安泰」の前提が崩れたのである。「良い大学、良い会社」のモデルは、敗者の問題を深刻化させる一方で勝者は不在という不毛な競争を残し、人生モデルとしての機能を失ってしまった。
 こうした事態は、これから社会に出ようという若者たちの行動にも多大な影響を与えた。「一生安泰」というメリットが疑わしくなった以上、いわゆる「良い会社」に就職しようというインセンティブが薄れ、別の進路を目指す者が増えるのは、至極当たり前の反応と言えるだろう。
 若者たちの進路選択は、さまざまな方向へ広がりを見せている。ITのブームを追い風に自分たちで企業を立ち上げる者。直接的な社会貢献を志してNPOやNGOでの仕事を選ぶ者。ダブルスクール(大学に通いながら別の教育機関にも通うこと)で仕事に役立つ技能や知識を習得しようとする者。企業に勤めながら、あるいは企業を辞めて大学院で学ぶ者。音楽や演劇など自分の好きなことを仕事にしようとする者。選択を先送りしてアルバイトで生計を立てる者。
 これらの動きのなかには、迷走気味の部分も確かにある。彼らがダブルスクールで学んでいる内容は、必ずしも実際の仕事で役に立つわけではないし、企業から評価されるわけでもない。一生安泰ではなくなったといっても、フリーターでいるよりは、いわゆる「正社員」になる方が、現時点では所得水準や社会保障などの面で有利であることに変りはない。
 問題は、彼らに続く世代にも及んでいる。「良い大学、良い会社」のモデルの崩壊が明確になるにつれて、子供たちが「良い大学」を目指して勉強につぎ込むエネルギーも減退していく可能性が高い。近年指摘されている小中学生から大学生までに及ぶ学力低下の問題も、学校で教える内容や教え方が悪くなったとか時代にそぐわなくなったというよりも、人生モデルが失われたことで、すでに子供たちの勉強に対する意欲が衰えはじめているためではないだろうか。


会社に依存しない三つの道

 それでは今後、旧来からの「良い大学、良い会社」の人生モデルが再び力を得ることは考えられるだろうか。そのためには、企業の終身雇用制を建て直すことが前提になるわけだが、人口が減少に転じ、成長が鈍化することが確実なこれからの日本の経済環境を考えると、広範な企業に終身雇用制の維持を求めるのは、今後さらに難しくなるだろう。
 また、仮に旧来型モデルを復活させたとしても、高齢者比率が上昇することで、それを維持していくことが難しくなるという側面もある。旧来型モデルでは、定年後の生活には年金や医療保険によるサポートが前提とされてきた。しかし、高齢者比率の上昇で、現役世代と引退後の余生を送る人々の数的なバランスが崩れることで、それらの仕組みを維持することが難しくなってきている。
 これからの時代、大多数の人が、従来以上に長く現役で働き続けることを避けられなくなる。とはいえ、前述のとおり、企業に定年延長や定年後の再雇用の受け皿を用意することを期待できる状況ではない。これから仕事を選択する世代では、そもそも定年のある働き方ではなく、高齢になっても続けられる仕事を選択する方が、本人にとっても社会にとっても望ましい。
 そのための第一の選択肢は自営業だ。自ら生産手段を保有して事業を営む自営業は、高齢になっても現役を続けられる職業の典型である。旧態依然とした農業や小売業では難しいが、新しい技術や斬新なアイデアをベースに、新たに企業を起こしていくことは有力な選択肢となる。第二に、専門性の高い職種も有望だ。過去の実績から、弁護士や医師などの専門職や技術職は、高齢になっても現役を続ける人の割合が高いことが知られている。
 そして第三には、低賃金で生産活動の補助的な業務を担う「ユーティリティ・ワーカー」の道がある。現在のフリーターの一部もこれにあたるが、高齢者の雇用のかなりの部分が、そうした低賃金労働で占められてきた。これからの時代にも、この種の労働力へのニーズがなくなることはない。仕事以外の趣味や社会貢献活動などに人生の意味や楽しみを見出すことができれば、これも立派な選択肢の一つとなり得る。
 これら三つの選択肢は、旧来型モデルの崩壊に際して若者たちが見せた動きとオーバーラップする。ベンチャーの起業、ダブルスクール、そしてフリーターでさえも、これからの日本の経済環境に適した働き方に向かうものと言える。そう考えてくると、「良い大学、良い会社」モデルの復活を期待するよりも、すでに新しい時代に向けて動きはじめている若者たちをサポートし、彼らの動きを新時代の人生モデルにつないでいく方が望ましいという結論が見えてくるだろう。


専門職・技術職を目指すコースが新しいモデルに

 それでは、旧来型の「良い大学、良い会社」モデルに代わる新しい人生モデルは、どのようなものになるだろうか。まず言えることは、専門的な職業教育の枠組みが、重要な役割を果たすだろうということだ。
 加速的に進む技術進歩にともなって、モノづくりやサービスの現場において、さらにはオフィスワークにおいても、生産活動の内容が高度化し、働く人々には従来よりもはるかに高度な技能や専門性が要求されるようになってきている。ところが、終身雇用制が前提でなくなると、企業が多くの半人前の人材を雇用したうえで研修を受けさせることは難しい。したがって、個人の判断と費用負担で専門的な職業教育課程を履修して、専門職・技術職を目指す若者が増えることは、企業にとっても望ましい展開と言える。
 対象となる領域は、IT関連のさまざまな技能、製造現場での諸技術、デザイン、金融工学、情報検索、介護サービス、マーケティング等々無数にある。従来はフリーターの守備範囲と考えられてきた領域でも、販売業務や家事代行など、要求される技術水準が高度化し、準専門職、準技術職といった位置付けになる部分が広がってきている。
 これらの技能を修得する場としては、専門大学院構想を進める大学のほか、各種の専門学校、あるいは、そこにビジネスチャンスを見出した新しい参入者が台頭する可能性もある。
 「職業教育機関から専門職・技術職」というコースは、これからの時代の標準的人生モデルの根幹を成すものと想定される。そのモデルは、一つの物差しで序列を付けられる単線階層型の旧来型モデルとは異なり、学ぶ内容も学ぶ場も多様な、複線型のモデルになることが予想される。近年の若者たちの動向と、それをビジネスチャンスと見て職業教育の事業化を図りはじめた企業の動きの速さと広がりから考えると、このモデルがスタンダードになるのはそう遠い話ではないかもしれない。
 もちろん、すべての若者が専門職・技術職のコースを踏襲するわけではない。それは、旧来型モデルの時代にもほぼ半数が大学に進学していなかったのと同じことだ。専門職コースに進まない者の多くは、現在のフリーターも含め、ユーティリティ・ワーカーの道を選ぶことになるだろう。社会制度が現状のままであれば、低賃金のユーティリティ・ワーカーは社会的弱者の地位に甘んじざるを得ない。そうなると、日本の社会は二極化、階層化の流れを強めることになる。
 その一方で、二極化や階層化を緩和するための施策が採られる可能性も高い。今後、旧来型モデルにおける正社員の枠が拡大することを期待できないことを考えると、二極化の緩和策としては、社会保障や税制を企業の正社員であることを前提としないものに組み替えることで、ユーティリティ・ワーカーの経済的な処遇を向上させる施策が中心になるだろう。そうした施策は、ユーティリティ・ワーカーと同様、特定の企業に依存しない、専門職・技術職の人々や自営業者にも恩恵を及ぼすことになるものと考えられる。
 また、社会的な地位の面での配慮が求められる。旧来型の「良い大学、良い会社」のモデルにおける常識にとらわれて、フリーターの生き方を否定したことが、その他の選択肢を持たなかった若者たちを「ニート」と呼ばれる不幸な境遇に追い込んだ可能性もある。そうした事態を避けるためにも、フリーターやユーティリティ・ワーカーをいたずらに貶めず、社会において一定の役割を果たす存在として正当に位置付けていくことが必要だろう。


これからの「豊かさ」は仕事から

 若い世代の進路選択が、起業や資格取得、NPOやNGO、あるいはフリーターと、会社に依存しないさまざまな方向へ広がっているのは、終身雇用を維持できなくなったという企業側の要因だけによるものではない。その背景には、「本当にやりたい仕事をしたい」「やりたくない仕事には就きたくない」といった若者たち自身の強い思いが間違いなく存在している。
 もともと「仕事」というのは、辛い、苦しい、束縛されるといったネガティブな面と、人や社会の役に立ったり自分の能力を発揮することで喜びを得るというポジティブな面を併せ持った行為である。かつての農作業や手工業のように、家族や個人を単位とした生産活動であれば、辛い仕事であっても、それぞれが何を作っているのか、誰のために仕事をしているのかは明確だった。ところが、生産活動が大規模化し、企業を単位とするようになったことで、個々人が受け持つ仕事は生産過程のごく一部に細分化されてしまった。それによって生産効率は向上し、物質的な豊かさは実現できたわけだが、それと引き換えに、仕事にともなう確かな充足感や達成感は失われていったのである。
 本当にやりたい仕事に就きたいと願うのは、消費生活においてだけでなく、仕事においても豊かな生き方をしたいということである。やりたい仕事というのは、単に楽な仕事ということではなく、自分の能力を発揮できたり、何らかの喜びを感じられる仕事のことだろう。誰もが、そうした意味でのやりたい仕事に就ける社会は、理想的ではあるが、今の時点では現実的ではない。
 しかし、「職業教育機関から専門職・技術職」のモデルが確立し一般化されれば、その理想に一歩近づくことにもなる。


共通解としての新たな人生モデル


 すでにある程度の豊かさを実現した現代の社会においては、消費活動を充実させるだけでなく、仕事を通じて得られる喜びを増やすことで「豊かさ」を獲得する仕組みが生じてくるということだ。もちろん、やりたい仕事に就くためには、それに必要な技術や知識の修得など、それなりの努力が必要になるだろうが、人々のそうした努力の一つ一つが、社会全体の発展の原動力になっていくことも考えられる。
 これからの時代の「豊かさ」は、個々人にとっても、日本の社会全体にとっても、人々の仕事の変質から生み出されてくることが想定される。


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連載「消費とリテールの、過去、現在、未来を読み解く」

第1回 パズルの大枠−「人口動態」と「豊かさ」の行方−(2005年4月15日)
第2回 リテール産業の時代性−時代がうながす主役交替−(2005年5月16日)
第3回 三つの競争力−脱・デフレを目指す事業戦略のために−(2005年6月16日)
第4回 パワーアップする消費者−第四の力、「発信力」が焦点に−(2005年7月15日)
第5回 「豊かさ」の代償−経済発展の光と影−(2005年8月11日)
第6回 これからの「仕事」−人生モデルの変容と新しい「豊かさ」−(2005年9月22日)
第7回 消費とリテールの国際比較−経済の成熟化とパブリック・ニーズ−(2005年10月6日)
最終回 消費とリテールの未来像−舞台は「心」の領域へ−(2005年10月20日)


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