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読売ADリポートojo 2006年11月号掲載
「経済を読み解く」第72回
「教育」のフレームワーク−改革を論ずるうえでの確認事項−

 新たに発足した安倍政権では、小泉時代に積み残した教育基本法の改定や株式会社による学校設立の解禁、小学校からの英語教育といった論点も含めて、教育制度の見直しと拡充を最重要課題の1つに位置付けている。教育に関しては、国旗・国歌に関する考え方など、思想・信条にかかわる難しい議論も少なくないが、ここでは、そうした議論の前提として、私たちの社会、経済における教育の機能や役割といった基本的なポイントを整理してみたい。


公的な関与の二つの根拠

 教育の領域では、医療と同様、公的な主体によるサービス提供が重要な役割を果たしている。サービスを提供するのが民間の主体であっても、その事業主体やサービスを受ける側に公的な補助を出すことで、教育サービスの提供と教育を受けることを奨励するケースも多い。当然、そうした公共サービスや公的な補助には、人々が支払った税金が使われている。その前提として、それを是とする社会的なコンセンサスが想定されているわけだが、それには、大きく分けて二つの根拠が存在している。
 第一に、すべての国民に、人としてのまっとうな生活を保障するためという根拠である。私たちの日本の社会においては、他の多くの国と同様、どういう境遇の人であっても、人として最低限の生活は保障しようというコンセンサスがある。教育を受けることは、経済的な意味でも精神的な意味でも、人が生きていくベースを構築することであり、すべての人にその機会を確保することは、最低限の生活を保障するうえでの必須条件と位置付けられる。
 第二の根拠としては、教育サービスの「外部経済性」が挙げられる。外部経済性とは、ある個人がその商品やサービスを購入すると、その個人以外の人々にもメリットが及ぶ性質のことである。教育サービスの場合には、それを提供することで、社会のなかで自立できずに周囲に迷惑をかけたり犯罪に走ったりする人を減らせるとか、有能な人材を育成することで経済が発展するといったメリットがある。そうした外部経済性があるため、ある程度の公的な資金を投入したとしても、トータルでは社会全体として得になると考えられるわけだ。


教育の三つの次元

 こうした公的関与の根拠から考えると、教育の目的としては、3つの次元を想定することができる。
 第一は、人を社会に適応し自立した存在に育てるための「基礎教育」の次元である。その本質は、古くからある「読み書きそろばん」という表現からもうかがえる。「読み書き」とは、社会の人々ときちんとコミュニケーションできる能力を意味している。そこには、文字通りの読み書きの能力に加えて、国や地域、世界の歴史、地理に関する基本的な知識、さらには人の気持ちを思いやってコミュニケートする能力も含まれる。一方の「そろばん」は、合理的な思考を前提に責任ある行動を取れる能力の象徴だ。具体的には、科学的な思考様式の修得や、前提となる自然科学や社会制度に関する基礎的な知識の獲得が対象となる。
 第二には、基礎教育の土台のうえに、仕事を通じて社会に貢献する能力を構築する「職能教育」の次元がある。各自の適性と志向に応じて、仕事に直結する技能や知識を修得することが目的となる。そこではもちろん、仕事の種類と同様、多種多様な内容、コースに分かれることが想定される。
 そして第三は、より高度な知識と思考様式を身に付けることで、仕事には直結しなくても、各自の人生を豊かにすることにつながる「教養教育」の次元だ。内容的には職能教育と重なる部分もあるが、文学や歴史、自然科学、芸術など幅広い分野の高度な知識の修得が、これに相当する。


目的を見失った日本の現実

 これら三つの次元を現在の日本の教育制度にあてはめてみると、基礎教育は、誰もが最低限身に付けるべきレベルという意味で、義務教育の範疇と位置付けられる。それを土台にした職能教育は職業高校や専門学校、より高度な内容は大学や大学院での教育が担当するが、社会に出てからの実地での経験を通じた学習に負うところも大きい。教養教育は大学や大学院、そして生涯学習の講座やカルチャースクールが担当する形になっている。また、普通高校での教育は、基礎教育の域は超えているが、多様な職能教育や教養教育の多くに通じる共通の基盤、いわば二段目の土台の構築と位置付けることができるだろう。
 とはいえ現実には、こうした本来の目的に沿った教育が行われているとは言い難い。その最大の原因は、出身大学が人材の優劣を判断する物差しとして大きな意味を持ち続けてきたことで、少しでも「格上」の大学に入れること、入ることが教育の目的とされるようになっていたことにある。そのため、社会に適応するうえで不可欠な内容ではなく、職能に直結する内容でもない、ある意味で中途半端な段階である普通高校の教育が、いわゆる「受験教育」として極端に重視されることになった。さらに、その前段階である小・中学校の教育も、主として児童、生徒の親の要請を入れる形で、「良い学校」に入れるための受験教育にシフトし、本来の目的である基礎教育から逸脱した状態になっている。
 現在、日本の教育制度が危機的な状況にあるということは、多くの人が感じていることだろう。その最大の要因は、教育の本来の意義や目的が見失われていることにあるように思われる。教育改革に関する議論が本格化しようとしている今、私たち一人一人が、これまでの固定観念にとらわれることなく、教育の目的を原点から考え直してみることが必要なのではないだろうか。


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