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読売ADリポートojo 2003年3月号掲載
「経済を読み解く」第35回
変質する受験−学歴ブランドの失墜と学力低下−

 受験シーズンもそろそろ終盤。喜びと悔しい思いとが交錯する合格発表の様子は、この季節の風物詩としてすっかり定着している。しかし、今も昔も変わらない情景の背後で、受験を取り巻く状況は、社会の変化につれて、かつてとはかなり違ったものになってきている。


受験は勉強のため?

 受験競争を勝ち抜いて得られるものは、一義的には、「良い条件で学ぶ機会」とまとめることができるだろう。入るのが難しい「良い」学校に入れば、良い先生、良い環境、良い友人に囲まれて勉強できるということだ。そこで得られる教養は、その後の人生を豊かなものにするのに役立つし、お金を稼ぐための仕事に役立つ技能や知識を身につけることもできる。
 とはいうものの、これが建前に過ぎないというのは、誰もが感じていることだろう。受験の難しい学校ほど学ぶのに良い条件が整っているというわけではないし、誰もがそういう有意義な勉強をしているわけでもない。というか、大学の先生の話などを聞くと、大半の学生が勉強していないといった方が近いようだ。これは、私自身の学生時代(15年前のことになるが)の経験からも言える。そのころから既に、勉強するのは単位を取って卒業するため、という雰囲気が強かった。このあたりは「ニワトリと卵」的な面もあって、学校の勉強が役に立たなくなったから勉強しなくなったのか、ちゃんと勉強しなくなったから役に立たなくなったのか、微妙なところだ。


ブランドとしての学歴

 いずれにしろ、難関を突破した元受験生たちが、せっかく得た「学ぶ機会」を生かしているとは考えにくい。今の受験生は、別に「学ぶ機会」を得るために受験にトライしているわけではないということでもある。
 建前を横において本音ベースの話をすれば、今の受験の目的は、「○○大学卒」という学歴を手に入れることにあると言えるだろう。いわゆる有名大学を卒業したということは、その後の人生で大きな力になる。それほど有名でなくても、少しでも序列の高い大学、要するに入るのが難しい大学を出ている方が、就職や結婚の際に有利になる。そういう認識があるから、頑張って受験勉強をするわけだし、たくさんのお金を掛けて子供を予備校に通わせたり教材を与えたりするわけだ。
 学歴は、人材市場においては一種のブランドである。採用する側は、本人のことを何も知らなくても、どんな大学を出ているかが大きな判断材料となる。ブランド品のバッグやアクセサリーを買うのと同じで、一定の安心感が得られるからだ。ところが、学歴ブランドのパワーは、近年、低下の一途をたどっている。
 かつて、一度就職すれば定年までその会社で働くのが当たり前であった時代には、その入り口の段階で力を発揮する学歴は大いに意味があった。しかし、終身雇用制が崩れて転職がさほど珍しくなくなってくると、どの大学を出ているかは、あまり重要ではなくなる。2度目、3度目の就職活動では、学歴よりも、どんな仕事をしてきたかや、どんな専門性や技能を習得しているかの方が意味を持つ。職歴や資格がブランド力を持つわけだ。また、有名大学を出ていても、給料に見合った仕事ができなければ容赦なくリストラの対象になる。学歴ブランドは、まったく意味を失ったわけではないが、絶対的なパワーではなくなってしまった。


学力低下の背景

 学歴ブランドのパワーが落ちてくると、受験生やその親が受験につぎ込むエネルギーも低下するだろう。勉強する時間も掛けるお金も減らされる。受験産業にとっては、きわめて厳しい状況だ。大学自体も、その社会的なポジションを低下させることになるだろう。
 今の小中学生の親たちは、自分自身、厳しい受験競争をくぐり抜けたにもかかわらず、それがさほど役に立たないことを痛感している世代である。彼らが子供に受験勉強を強制する気にならなくても当然だ。子供の方も、そんな親の姿を見ていれば、真剣に受験に取り組む気にはならないだろう。このところ指摘されている小中学生から大学生におよぶ学力低下の問題も、学校で教える内容や教え方が悪くなったというよりも、既に子供たちの受験に対する意欲が衰えはじめているためではないだろうか。
 もしそうだとすると、ことは単に受験産業の問題にとどまらない。学歴ブランドに代わるインセンティブを提示しない限り、子供たちの学力低下はさらに進み、日本の経済、社会の未来に大きな暗い影を落とすことになる。
 日本の未来にとってもっとも理想的な展開は、学歴に代わるインセンティブとして、実効のある技能や知識の獲得がクローズアップされることだ。社会や経済の不安定さが増し続けている今、将来に備えて専門性や技能を身につけたいという思いは、少なくとも潜在的には、むしろ強まっているはずだ。それは子供たちだけに限らない。大人たちにもあてはまる。
 問題は、その思いに応えられる有意義な「学ぶ機会」を設定できるかどうかだ。これは容易なことではない。窮地に立つ大学の失地回復に向けた努力に期待が掛かるが、それは何も大学に限った話ではない。各種の専門学校の役割が拡大する可能性は高いし、分野によっては受験産業のノウハウも生かされるかもしれない。まったく新しい参入者が台頭することも考えられる。むしろ、既成の大学や学校の枠組みを超えた新しいエネルギーを注入することが、日本人の「学ぶ意欲」を再び活性化させるカギになるのではないだろうか。


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