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ダイヤモンド・ホームセンター 2007年4-5月号掲載
消費の行方−市場は「心」の領域へ−

 企業の業績が好調を維持しているのとは対照的に、個人消費は盛り上がりを欠いている。今後、企業の好調が個人にも波及して消費が勢いを増せば、日本経済は本格的な好況の局面を迎えるだろう。逆に、個人消費が盛り上がりを欠いたままで推移すると、輸出と海外事業の好調に支えられてきた企業業績も息切れし、再び景気後退ということにもなりかねない。そうした流動的な状況下で、これからの展開を見通すうえでは、さまざまな視点から個人消費の全体像を再検討することが必要だ。


停滞する個人消費

 消費がカギ。日本経済の先行きを見通そうとするエコノミストの多くが、そう口を揃えている。というのも、企業の業績が好調を維持しているのとは対照的に、個人消費は盛り上がりを欠いており、それが日本の経済全体を停滞させていると考えられているためだ。当面の日本経済の展開は、この状況が今後どう変わるかにかかっていることは間違いない。
 これまで個人消費が停滞気味に推移してきた最大の要因は、企業が好業績を上げている割には、雇用や賃金を増やしていないことにある。経済がグローバル化し国外の企業や商品との競争が激化した現在では、業績が好調だとはいっても、企業が安易に人員を増やしたり賃金を上げたりはできない。企業業績の好調が必ずしも多くの人の所得を増やすことにはつながらなくなっているのである。
 基本的には、この構図自体は今後も変わらないものと考えられる。ただ足下では企業の人手不足感が高まっており、雇用の拡大や、一部では賃上げの動きも目立ってきている。この点は、今後の消費の押し上げ要因として効いてくるだろう。とはいっても、消費市場全体の拡大ペースには限界がある。日本の消費市場においては、人々の基礎的なニーズがほぼ充足してからは、商品やサービスを提供する企業がさまざまな手法を駆使して、新たな市場を開拓してきた。その積み重ねが「豊かさ」となっているわけだが、人々が豊かになればなるほど、そこに追加する新たな市場を開拓することは困難になってくる。そのため、経済全体で見ると、人々の豊かさが増して経済が成熟化してくるにつれて経済成長のペースが落ちることはほとんど避け難い。
 1950年代後半から60年代にかけての「高度成長期」には、一人あたりGDP(2005年価格の実質値、以下同様)は50万円から200万円へ、20年足らずで4倍に拡大したが、その間の経済成長は年10%近くに達していた。それに続く70年代半ばから80年代半ばまでの「安定成長期」には、一人あたりGDPは200万円から300万円に拡大したが、その間の経済成長は年4%程度にとどまった。その後、バブル期には一時的に高成長を実現しているが、バブル崩壊後はその反動もあって、長期にわたって低成長を余儀なくされた。そしてバブルの後遺症を克服した現在、一人あたりGDPが400万円に迫る一方で、標準的な成長ペースは安定成長期からさらに低下した2%程度と考えられている。
 個人消費についても、中長期的には経済全体と同程度の成長ペースに落ち着くことが想定される。一時的には3%、4%といった比較的ハイペースの成長も可能だと考えられるが、それが長期的に続くことは考えにくい。
 改めてまとめてみると、今後の日本の個人消費は、雇用の拡大や賃上げによって上向く可能性が高いが、その度合いは限定的であり、盛り上がりが広く実感されるまでには至らないということになるだろう。ここで注意しておく必要があるのは、経済のグローバル化を背景とした雇用と賃金の抑制傾向と、豊かさの向上にともなう成長ペースの鈍化は、足下だけの一過性の現象ではないということだ。消費が盛り上がりを欠いているのは、とくに異常な事態ではなく、むしろ、これからの時代の平常な状態なのである。


市場拡大と価格低下が際立つ住関連と娯楽市場

 総体としての個人消費は盛り上がりは欠くものの安定的に推移することが予想されるが、その中身を見ると、商品分野やニーズの領域によって状況は大きく異なっている。下の図は、2000年から05年までの個人消費(GDPベース、国内最終家計消費支出)の増減率を分野ごとに見たものである。いずれの項目も、名目ベースと価格変動分を除いた実質ベースの両方を表示しており、その差は価格の変化分を示している。

項目別に見た個人消費の動向(2000年から05年までの増減率)
  • 各項目名の下の( )内は2005年の名目値
  • 家賃・光熱費は帰属家賃を含む
  • 出所:内閣府「国民経済計算年報」より作成


 図の左側には、衣・食・住の順に、生活における基本的な分野が並んでいるが、ここでまず目立つのは、「衣料品」の大幅な落ち込みだろう。5年間の減少率は名目で22%、実質で18%だが、ピークであった1996年からみると、名目、実質ともほぼ半減しており、関連産業はきわめて厳しい環境に置かれていたことがうかがえる。ただ、年ごとの増減率を追っていくと、その動きは景気とほぼ連動しており、景気が回復基調に入った近年は、減少は次第に小幅になり、名目ベースでは05年にはわずかながら増加に転じている。また「食品・飲料・たばこ」も「衣料品」に比べて小幅ではあるが減少している。こちらは人口構成の高齢化をはじめとする構造的な要因が背景になっており、緩やかな縮小基調が続いている。「保健・医療」が急速に拡大を続けていることも、それと表裏一体の動きと言えるだろう。
 縮小した衣・食の市場と対照的に、住関連は比較的好調な動きとなっている。05年に68兆円に達している「家賃・光熱費」には、計算上は、持ち家に住む人も自分自身に家賃を払っているという考え方に立ち、持ち家分の家賃(帰属家賃)46兆円も含まれている。この「家賃・光熱費」は5年間で実質10.2%、名目6.0%の伸びとなっている。これは、持ち家か賃貸かは問わず、広さや便利さ、快適さといった住宅の質の改善が進んでいることを示している。また「家具・家庭用機器・家事サービス」については、価格変動を除いた実質では家賃を上回る13.9%という高い伸びとなっており、人々の住関連のニーズの旺盛さを示している。ただ、この分野では、家電製品を中心とした価格下落が顕著で、企業の売上や利益に直結する名目ベースでは▲12.3%と逆に大幅なマイナスとなっている。薄型大画面テレビやDVDレコーダーなどのデジタル家電が、市場の拡大にともなう価格低下、さらにそれを受けた市場拡大というスパイラルに入ったのが、その典型的な事例である。
 それと似た状況にあるのが「娯楽・レジャー・文化」の分野だ。こちらも、実質34.6%の大幅な伸びを示しているが、名目では▲1.3%となっており、こちらの市場でも価格低下と市場拡大が同時進行している。


高度化する消費者のニーズ

 ここまで見てきたように、全体では安定的に推移しているように見える消費市場も、分野別に見ていくと、それぞれの市場ごとに大きく異なった状況にあることが確かめられる。その一方で、消費市場全体に共通する大きな潮流も存在している。それは、「ニーズの高度化」という表現で集約できるだろう。
 経済と産業の発展にともなって人々の暮らしが次第に豊かになっていくにつれて、消費市場のニーズは、「空腹だから食べる」とか「寒いから着る」といった「基礎」の領域から、より快適な暮らし、便利な暮らしを求める「機能」の領域へと高度化していった。高度成長期に普及が進んだ電気洗濯機や冷蔵庫、エアコン、自動車といった代表的な耐久財は、いずれも、そうした機能の次元のニーズに対応したものであった。また、米の消費が頭打ちになる一方で、肉や卵、乳製品の消費が拡大したのも、同じ時期だ。
 さらに、1970年代なかば以降の安定成長期になると、単なる快適さや便利さだけでなく、楽しさや安心、癒し、感動、自己実現といった「心」の領域のウェイトが大きくなってきた。近年最も伸びている「娯楽・レジャー・文化」の分野は、その全体が心の領域のニーズに対応しているが、それ以外の分野でも、心の領域のニーズが高まっている。食の分野でも、単に美味しいとか栄養があるというだけでなく、「安心して食べられるもの」とか「めったに食べられない珍しいもの」が求められるようになっている。住関連でも、内外装の美しさや心の安らぐ照明などのニーズが増えているし、DIYについても、「必要だからやる」という理由に加えて「楽しいからやる」という取り組み方の人が増えてきている。
 心の領域のニーズは、基礎領域はもちろん、機能領域に比べても、はるかに不安定で、企業にとっては掘り起こすことの難しいニーズである。人々が豊かになるにつれて成長率が低下していくのは、心の領域のニーズのウェイトが高まっていくためだということもできる。現在想定している2%ペースの成長も、消費者の心の領域に踏み込んでいく企業側の努力があってはじめて実現できるものだ。日本の消費市場の行方を見通すうえでは、マクロの統計データもさることながら、高度化する消費者のニーズに対応しようとする個々の企業の試行錯誤に目を向けておくことが必要だ。


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