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The World Compass(三井物産戦略研究所機関誌)
2000年7月号掲載
米国のマクロ経済とIT革命

IT革命が支えた長期好況

 米国経済が「後退」の二文字を忘れて既に9年。これだけ長期に及ぶ景気拡大は、通常の景気循環として説明することは難しい。そこで登場するのが、情報技術、ITが大きく貢献しているという考え方だ。
 通常の景気拡大は、需要の拡大が生産拡大、所得拡大をもたらし、それが一層の需要拡大につながるというスパイラルに乗って進行する。90年代の米国では、そのスパイラルがITの急発展、いわゆる「IT革命」によって補強されてきた(下図参照)。

米国の長期景気拡大のメカニズム

 まず、株価の高騰によって需要拡大が一段と加速された。IT革命は、多くの企業に飛躍のチャンスをもたらした。少なくとも、株式市場に参加する人々は、多くの企業が、ITの活用によって成長性、収益性を大幅に改善させることができると判断した。その結果、株価は、その時点での収益力からは考えられないほどの水準にまで上昇していったのである。
 株価の上昇が本格化した96年以降、家計の金融資産の評価増額は、可処分所得の4割前後で推移している。何もしなくても、資産がどんどん増えていく状態だ。そうなると、お金を貯めようという意欲が薄れるのも当然だ。この時期以降、米国の家計セクターは、稼いだ所得のほぼすべてを消費や住宅購入に使いきってしまう状態が続いている。その結果、家計セクターの需要は、所得以上のペースで拡大してきたのである。
 また、IT革命は供給サイドにも大きな影響を及ぼしている。生産性向上の加速である。需要拡大が加速しても、それに生産がついていけなければ、インフレ、金利上昇を招き、景気は後退に転じてしまう。しかし、今回の拡大局面では、ITの活用による生産性の向上で供給の限界が押し上げられたため、インフレ、金利上昇を招くことなく、長期にわたる需要拡大にこたえることができたのである。


競争の激化もマクロの好調の要因に

 ITによる生産性向上といっても、単にコンピューターや通信機器を導入・強化しただけではない。むしろ、ITをテコにして、産業間、企業間、さらには企業組織内部の機能分担関係を組み直すことで、全体としての効率化を達成した側面が大きい。
 そのプロセスは、企業間、個人間の競争を原動力にして進んでいる。競争に勝てば大きな役割と巨額の利益を得られる一方、競争に敗れると、役割を失い経済の枠組みからはじき出されてしまう。企業なら倒産、個人なら失業というわけだ。大きな変革期には、勝者と敗者の格差は、通常の時期よりはるかに大きくなる。
 勝ち組の中心は、さまざまな専門性を持って企業経営をサポートしたり、新しいビジネス・プランを策定できる少数のビジネス・エリートたちだ。企業のリストラを主導し、自社株のストック・オプション(仕事の報酬として社員に与える株式購入権)で巨額の報酬を得るスタイルはすっかり定着した。また、自らリスクを負ってビジネスを立ち上げることに成功した人々は、株式公開によって、さらに巨大な果実を手にしている。IT革命によって役割分担の秩序が崩れた現代は、ベンチャーの時代でもある。
 そうした状況下、米国の労働者は、競争に勝ち抜くため必死に仕事に励み、能力の強化に務めている。それ自体が生産性のさらなる向上をもたらすとともに、賃金の上昇を抑制することにもなった。それが物価の安定と企業収益の拡大、そして株価の一段の上昇へとつながったのである。


IT革命がもたらす不安

 以上のように、IT革命は、マクロ経済レベルでの絶好調をもたらした一方で、国民一人ひとりにとっては、好ましくない一面もみせている。
 まず、中間層のかなりの部分が、従来の仕事を失って、賃金が安い単純作業、いわゆるチープ・ジョブに就かざるを得ない状況に陥った。雇用が拡大しているといっても、そこそこの給料をもらえる仕事は減っているためだ。
 他方、景気拡大のおかげでようやく仕事を見つけた人々も、喜んでばかりはいられない。その大半がチープ・ジョブばかりであるうえ、彼らがさらに上の層を目指すのは、逆に難しくなっているのである。今日では、少なくともパソコンの使い方くらいは修得していないと高賃金の仕事には就けない。また、さまざまな情報がパソコンやインターネット経由で流通するようになったために、その窓口を持っていないと、ITに限らず、一般的な知識、技能の面でも、遅れをとってしまう。
 パソコンやインターネットを使えるかどうかを境に、勝者と敗者の格差がますます広がっていく。「デジタル・デバイド」と呼ばれる現象だ。インターネットの普及率が30%を超えたといわれる米国では、これは大きな社会問題として浮上してきている。
 また、今後を展望するうえでは、マクロの面でも不安がある。株価のバブルへの懸念だ。市場参加者の期待だけに支えられた株価の上昇がストップすれば、需要の拡大ペースは鈍化せざるを得ない。株価が下落すればなおさらだ。この懸念は、株価が本格的に上昇に転じて間もない頃から指摘されてきたが、ロシアンルーレットさながら、不安が実現しない期間が長引くにつれて、その不安はさらに大きく育ってきている。


日本の現状

 こうして米国のIT革命の状況をみてくると、日本はどうなのかということになるが、図で示したような、IT革命が景気拡大を加速させるプロセスは、まだ本格化していない。今は、通常の拡大スパイラルが動き出すよりも前に、IT革命に乗り遅れまいとする企業が関連の設備投資を拡大し、結果的に需要を押し上げはじめている状況だ。
 また、ベンチャーの活躍も目立っている。実力を蓄えたビジネスマンが動きの鈍い大企業を離脱し、新たに企業を立ち上げていく動きは、企業セクター全体の活性化につながるものと期待できる。
 他方、IT革命の影響で仕事を失った企業の倒産や雇用者のリストラが増えるという不安から、消費者は慎重さを増し、消費活動は盛り上がりを欠いている。IT革命は、景気にマイナスの影響も与えているということだ。
 米国でみられるような競争の激化や格差の拡大など、IT革命の個人に厳しい一面は、早晩間違いなく現れてくる。それまでに、せめてマクロの経済環境を好転させておけるかどうか、また企業の活力を取り戻しておけるかどうか。日本経済は、依然、際どい状況にある。


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