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セールスノート 2007年7月号掲載
連載「暮らしから見る身近な“経済”」第2回
「豊かさ」の方向性

 前回の日本経済の成熟化の話のなかで、日本は豊かになってきたと書きましたが、今回は、その「豊かさ」の中身と方向性について、考えてみたいと思います。


便利さと快適さの追求

 経済の発展にともなう「豊かさ」というと、何はさておき「お腹いっぱい食べられること」が最初のステップになります。日本の社会が全体として、それをほぼ実現できたのは、第二次世界大戦が終わって十年近く後、農地解放や農業技術の進歩によって、農業の生産性が大幅に向上した1950年代初めのことでした。
 食糧生産に余裕ができたことで、日本の社会は労働力を工業に振り向けることが可能になりました。50年代から60年代にかけての高度成長は、農業から工業へ、農村から都会への人口移動によって実現されたものでもあります。
 工業の発展によって、人々の「豊かさ」は次の段階に入っていきます。工場で大量に生産された商品を大量に消費することによって「便利さ」や「快適さ」を追及する方向です。この時期には、丈夫で着心地の良い衣料品や、都市部の集合住宅が大量に供給されましたし、各種の耐久消費財の普及も進みました。「三種の神器」と呼ばれたテレビ、電気冷蔵庫、電気洗濯機、続いて「3C」と呼ばれた自動車、カラーテレビ、クーラーがその代表格です。これらによって、人々の暮らしはより便利に、より快適になっていきました。
 「食」の分野でも、ただお腹いっぱい食べるというのではなく、栄養のあるもの、美味しいものが求められるようになりました。その流れのなかで、日本人一人あたりのコメの消費量は、52年を境に減少に転じ、それに代わる形で、肉や卵の消費が拡大しました。また、多彩な加工食品やインスタント食品のように「便利さ」を提供する商品も増えていきました。
 サービスの分野では、60年代にはスーパーマーケット、70年代に入ってからはコンビニエンスストアやファミリーレストラン、ファストフードなど各種のチェーン店が発展し、人々の暮らしに便利さと快適さを提供していきました。


「心」の領域へ

 1980年代に入ったあたりで、日本の「豊かさ」は、また新たな段階を迎えます。便利さや快適さを追求する流れも続いてはいますが、さまざまな欲求が満たされていくことで、新たな便利さ、快適さを実現する余地は次第に狭くなってきました。そうしたなか、楽しさや安心、感動、自己実現といった「心」の領域の「豊かさ」を目指す方向性が、次第に鮮明になっていきました。
 個人消費の総額に占める娯楽やレジャーのための支出の割合は、70年代までの9%前後から、80年代末には12%台にまで上昇しています。この時期には、83年に開設された東京ディズニーランドをはじめ、日本各地にさまざまなテーマパークが造られました。海外旅行も一般化し、年間の海外旅行者数は86年に500万人、90年には1,000万人を突破しました。
 暮らしの基本的な部分でも、「食」の分野では、美味しいとか栄養があるというだけでなく、「安心して食べられるもの」とか「めったに食べられない珍しいもの」が求められるようになりました。衣料品では、丈夫さや着心地の面での品質よりも、ファッション性や流行、ブランドといった要素のウェイトが大きくなっていきましたし、住宅の関連でも、内外装の美しさや心の安らぐ照明などのニーズが増えていきました。
 近年では、バブル崩壊後の長期不況が深刻化した90年代末頃には「癒し」が求められたり、景気が回復してきた2004年頃からは「感動」が一種のブームになったりもしています。


「豊かさ」の代償

 こうして、日本の人々はさまざまな形の「豊かさ」を実現してきたわけですが、それと引き換えに犠牲にしてきたもの、失ってきたものもあります。
 高度成長期の終盤、1960年代後半には、すでに工場などによる公害や環境破壊の問題が深刻化していました。その後、さまざまな規制が設けられたことで、毒性の強い有害物質による汚染の事例は減りましたが、工場や商業施設、大規模な住宅の開発などによって、環境や景観が損なわれるケースは現在でも少なくありません。
 また、農村から都会への人口移動が進んだことによって、過疎と過密の問題が生じました。農村は若い世代を失ってコミュニティとしての存続が危うくなりました。一方、都会では、毎朝の通勤ラッシュに象徴されるように、さまざまな場面での混雑現象が深刻化しています。そこには「豊かさ」とは程遠い現実が存在しています。
 また、企業が提供する商品やサービスが充実すればするほど、家庭を築き、維持していくことの必然性が低下し、それが離婚の増加や非婚化、晩婚化の趨勢、さらにはそれらの結果としての少子化の一因となっている可能性もあります。経済と産業の発展の結果として、家庭の役割と機能が希薄化してきているということです。
 加えて、生活文化も消滅の危機に瀕しています。企業が提供する安価で高機能な商品、サービスを受け入れることで、人々の暮らしは豊かになりましたが、それは、人々の暮らしから、「その土地ならでは」の郷土色や、「その時期ならでは」の季節感といった伝統的な生活文化が失われていく流れにもつながりました。また、大企業の商品やサービスとの競合に敗れて、個性的な商品、サービスを提供してきた中小企業や農家、老舗の名店が相次いで姿を消していきました。
 こうして見てくると、経済の発展によって得てきた「豊かさ」の代償は、決して小さなものではなかったと言えそうです。


成熟期は「再生」の時代か

 経済の発展による「豊かさ」の獲得は、ペースは鈍ってきているものの、21世紀に入った現在でも続いています。携帯電話やインターネットの普及で、人々の暮らしは一段と便利で快適になっていますし、「感動」のブームは依然として拡大中です。
 その一方で、まだ一部ではありますが、これまでとは違う方向の動きも出てきています。それは、これまでに「豊かさ」の代償として失ってきたものを再生させようという動きです。
 環境の問題や、家庭の機能低下、生活文化の喪失といった問題が深刻化するにつれて、それを嘆く声が高まってきました。それをなんとかしようと、人々がそれぞれの暮らしのなかで心掛ける動きもありますが、企業の行動にも変化が見られます。環境への負荷を軽減した事業活動を志向したり、生活文化に注目した商品、サービスを開発したりといった動きは、近年着実に広がってきていますし、消費者もそれを支持しています。
 人々が求めていることを実現し事業化しようと努めるのは、企業活動の基本です。人々がこれまでに失ってきたものを惜しむようになれば、企業がそこに事業機会を見出してくるのは当然のことと考えられます。
 経済が成熟化し成長ペースが鈍化するなかで、多くの人が「本当の豊かさ」とは何かを再考し、失ってきたものの再建、再生に向かいはじめているのであれば、それはきわめて健全な、望ましい動きと言えるでしょう。
 こうした「再生」の動きがどこまで拡大するのかは、現在の時点ではまだ不透明ですが、注目しておくべき動きであることは間違いなさそうです。


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連載「暮らしから見る身近な“経済”」

第1回 「成熟期」を迎えた日本経済(2007年6月号)
第2回 「豊かさ」の方向性(2007年7月号)
第3回 商業施設の新潮流(2007年8月号)
第4回 パワーアップする消費者(2007年9月号)
第5回 感動消費のマーケット(2007年10月号)


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■「豊かさ」の代償−経済発展の光と影−
 (日経BP社webサイト“Realtime Retail”連載 2005年8月11日公開)
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