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読売ADリポートojo 2003年10月号掲載
「経済を読み解く」第41回
「豊かさ」の代償−家事労働の社会的分業がもたらすもの−

 夏の異常気象で、農作物は大きな打撃を受けたようだ。これが江戸時代以前であれば、何万人、何十万人もの餓死者が出るたいへんな事態になっただろう。しかし今の日本では、人々が飢えに苦しむということは考えられない。食料だけではない。大量の工業製品に多彩なサービス。現代の日本は、産業が発達する以前に比べて、格段に豊かになったことは確かだし、その背景に、経済の発展があることも間違いない。
 しかし、いつの間にか、経済の発展、成長が必ずしも「豊かさ」につながらなくなってきたのではないかという疑問が生じている。公害など環境破壊の問題もそうだが、もう一つの焦点は、私たちの文化や価値観の領域の話である。


家事労働の社会的分業

 本誌9月号の巻頭特集(記事のページへ)で紹介された「変わる家族 変わる食卓」という本を、私も読んでみた。そこで取り上げられている現象は多様であり、さまざまな解釈が可能だが、1つの側面として、多くの主婦が、日々の家族の食事のかなりの部分をコンビニやファストフードに依存しているという現状が浮き彫りにされている。
 この動きは、経済発展の必然的な一側面と位置付けることもできる。そもそも「経済」とは「社会的な分業の枠組み」のことである。みんなで仕事を分担することで効率を上げ、より多くの成果をみんなで分かち合う。そうした、人々が互いに支え合う分業の枠組みが広がり深まることこそが、経済発展の本質なのである。
 分業の広がりには、家事労働も例外ではなかった。洗濯機や掃除機の導入で家事は飛躍的に楽になったが、これは、それらの製品を作っている人々との分業の成果だ。クリーニングなど、お金を出せば家事を代行してくれるサービスも数多い。企業による営利活動だけでは不十分だと考えられた医療や教育などの領域では、国や自治体を通じた分業体制が成立している。高齢化の時代に向けて、介護の仕事を社会的に分かち合う介護保険の仕組みも導入された。
 これらはみな、家事労働の社会的な分業の事例である。これらによって、現代の主婦は、たいへんな家事労働から解放され、「豊かさ」を享受している。そうしたなかでは、家族の食事作りという仕事が、さまざまな産業に依存するようになったのも、当然のことと言えるだろう。
 しかも「豊かさ」が行き渡った現代の日本では、家庭の主婦が家事労働を外部化し、自由時間を手にするというのは、経済全体にとっても、悪くない話なのである。


マクロで見ても望ましい流れ

 経済の発展、成長によって得られる「豊かさ」とは、一言でいえば「自由」の拡大ということになる。「豊かさ」以前の段階、言い換えれば「貧困」の時代には、経済、すなわち社会的分業の発展による生産性向上の成果は、人々が飢えたり凍えたりしないで暮らせるように、生産力を拡充する方向で現れる。その結果として、貧困の時代を抜け出すと、生産性の向上は、人々の自由時間を増やす方向にも向けられはじめる。また、商品やサービスの多様化は、消費者の選択の自由度を高めるし、鉄道や航空業の登場は、私たちの行動の自由を飛躍的に拡大させた。そうしたさまざまな意味での「自由」の拡大こそが経済的な「豊かさ」の本質と言うことができる。
 しかし、生産性の向上が常に貧困の解消や自由の拡大につながるわけではない。経済の歯車がうまく噛み合わないと、生産性の向上は労働力の余剰、つまりは失業を生み出すことにもなるからだ。そうした時期にも、企業は生産性向上の手を休めない。むしろ経済の状況が悪い時期ほど、利益を確保するために、生産性を上げて労働コストを抑えようとする。皮肉なことではあるが、現代の経済では、むしろそれが普通の状態だ。最悪の場合、その動きがさらなる失業を生み、経済をますます悪化させるという悪循環に陥ることさえある。
 そうした状況下で、家事労働を社会的な分業の枠組みに組み込んでいくのは、雇用を増やす一方で、失業の心配のない主婦たちが自由な時間を手にできるという、たいへんに望ましい話になるわけだ。


「家庭」の空洞化

 しかし、本当にそれで良いのかと改めて問われると、簡単にYesとは答えられない。こと食事作りに関しては、大きな問題がある。従来は家庭の主婦が担っていた、食事を通して家族の健康を維持するという機能が放棄されつつあるという点だ。
 単に食事を作るという機能は、コンビニやファストフードで代用が利く。しかし、それが栄養の過不足とかバランスの面で、本当に健康を維持できる食事になるのかどうかまでは保証の限りではない。「変わる家族 変わる食卓」で取り上げられている多数の食卓の実例を見ると、その懸念はきわめて大きいと言わざるを得ない。
 仮に、企業が健康に留意した食品を十分に提供し、消費者がそれを受け入れることで健康を維持する仕組みが確保されたとしても問題は残る。家庭の主婦、そして家庭そのものの存在意義の希薄化である。コンビニやファストフードの存在が、非婚化や晩婚化、そしてその結果としての少子化の一因になっているのではないかというのは、よく聞く話だ。食事だけが結婚の目的ではないのはもちろんだが、実感としては、それなりに真実味のある話だ。
 経済の発展という大きな潮流のなかで、「家庭」の性格が変化していくことは、避けられないことではある。しかし、「家庭」という存在が機能を落としていった果てに、人々の暮らし、文化、そして私たち自身がどのように変わっていくのか。不安を拭えないのは筆者だけではないだろう。


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 (読売ADリポートojo 2005年9月号掲載)
■「豊かさ」の代償−経済発展の光と影−
 (日経BP社webサイト“Realtime Retail”連載 2005年8月11日公開)
■岩村暢子氏インタビュー「食卓が語る日本の現在」
 (The World Compass 2003年10月号掲載)


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