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読売ADリポートojo 2005年9月号掲載
連載「経済を読み解く」第60回
クールビズのインパクト−「免罪符」で生まれる市場、縮む市場−

話題を集めたクールビズ

 2005年夏、大きな話題となり、議論を巻き起こした「クールビズ」。その登場は4月27日、小池百合子環境大臣の記者会見でのことであった。オフィスの省エネ策として冷房の温度設定を通常より高めの28度とすることに併せて、夏のオフィスの新しいファッション、あるいはドレスコードとして提案されたのである。要は、上着とネクタイなしでもOKにしようと、政府が提案してきたわけだ。
 その後、小泉首相が政府を挙げて推進すると宣言したことで、クールビズ導入の動きは、中央官庁はもちろん全国の県庁や市役所など、地方へも広がっていった。さらに、地球環境をテーマにした愛・地球博の会場で、奥田碩日本経団連会長(トヨタ自動車会長)をはじめとする企業経営者をモデルに使ったクールビズのファッションショーも開催された。このイベントの効果もあって、ビジネス界でもクールビズが公認されたという認識が広まっていった。
 もちろん関連する業界も敏感に反応した。メーカーも小売りも、襟の高いボタンダウンなど、ネクタイなしでもきちんとした印象を保てるシャツを中心に、クールビズ対応の紳士服の販売促進に力を入れた。
 こうした流れを受けて、クールビズのファッションは多くの企業やビジネスマンに受け入れられていった。省エネの効果のほどはまだ明らかになっていないが、百貨店や専門店の紳士服の売り上げにはかなりの貢献があったようだ。それだけが要因ではないが、6月の全国の百貨店の衣料品売り上げは、前年同月比1.4パーセント増と、1年4カ月ぶりに増加に転じている。


新たな市場の誕生

 今回のクールビズが広範囲に受け入れられた要因としては、首相のパフォーマンスや万博会場でのファッションショーといった演出の効果が大きかったようだ。一般公募で選ばれたクールビズという呼称自体のなじみやすさもイメージ向上につながったものと考えられる。
 クールビズの展開は、かつて第2次石油危機に際して政府が提案したものの、まったく受け入れられなかった「省エネルック」と比較されることが多い。その視点でまず指摘されたのは、服装そのものの違いである。半袖の上着を取り入れた省エネルックは格好悪かったというのである。格好の良い悪いはセンスの問題だが、間違いなく言えるのは、かつての省エネルックが、それまでにはなかった新しいデザインを提案したのに対して、今回のクールビズは既存のデザインの範囲内でのコーディネートを提案したものだということだ。
 多くの人をひきつけるには、新奇なものの方が効果的な商品分野もあるだろう。しかし、ビジネスウエアのように、「当たり前」であることが求められる分野では、極端な新奇性はむしろ敬遠される要因となる。クールビズとして提案されたスタイル自体は、オフィスで着るのでさえなければ、特に目新しいものではなく、誰にでも受け入れやすいものであった。加えて、カジュアルフライデーが定着していたことも拒否反応を抑えることにつながったのだろう。
 提案されたスタイルが目新しくなかったといっても、実際にそれを持っている人、まして日々の通勤に対応できるだけの手持ちのある人は限られていた。クールビズの普及は、従来のビジネスウエアともカジュアルとも違う、新しい市場の誕生につながったのである。


「免罪符」が動かす市場

 クールビズが受け入れられた背景には、そもそもの話として、スーツにネクタイというビジネスウエアが、日本の夏の気候には、かなり具合の悪いものだという事実がある。現代の日本のビジネスウエアは、気候をはじめとする外部環境への対応という、衣服の基本機能の一つを放棄して、もっぱら着る人のステイタスを表す「記号」としての役割に特化している。
 スーツにしろネクタイにしろ、それを身に着けることを楽しんでいる人もいるが、大部分の人にとっては、機能的には無意味を通り越して厄介なものでさえある。そのため、着けなくても良いという「免罪符」さえ得られれば、簡単に見捨てられてしまうことになる。今回のクールビズのムーブメントでは、政府と民間が足並みをそろえて、人々に免罪符を与えたに等しい。ネクタイの生産者が猛反発したのも当然のことと言えるだろう。
 ただ、ビジネスマンの誰も彼もがクールビズを歓迎したわけではなかった。導入に慎重だった人々の挙げた理由として目立ったのは「取引先に失礼」とか「職場の規律が乱れる」といった意見であった。これは、クールビズの免罪符としての有効性を信頼できなかったということだ。
 また本音の部分では、カジュアルフライデーのときと同様、着ていく服を選ぶのが面倒だと感じた向きもあったようだ。従来のビジネスウエアは、スーツとネクタイさえ着けていれば取りあえずOKという意味で、こちらも一種の免罪符的な意味合いを持っていた。クールビズという新たな免罪符の登場は、従来の免罪符を失効させることにもなったわけだ。
 スーツやネクタイのように、実質的な機能の面での存在意義が薄弱な商品の場合には、それが必要であるという人々の共同幻想が崩れてしまえば、その市場も危うくなる。その市場を守るにも、突き崩して奪うにも、ユーザーに対する情報戦略がカギを握ることになる。
 クールビズは、政府主導の大作戦がツボにはまったケースと言えるだろう。この後、来夏に向けてどのような動きが出てくるのか。しばらく目を離せないところである。


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