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環境文明21会報 2014年8月号掲載
技術進歩と経済発展−技術に寛容な時代へ−

 人類が飢えや病気、寒さ、暑さといった苦難を退け、豊かな生活を実現してきた過程では、技術進歩が主要な原動力であったことに疑問の余地はないだろう。しかしその半面、新技術の導入が各種の事故や災害、環境破壊など、さまざまな問題や悲惨な事件を引き起こしてきたことも確かである。両刃の剣とも呼べる技術進歩に対して、私たちの社会がどのように向き合ってきたのか、ここでは経済の視点から考えてみたい。


変化する技術と経済の関係性

 新しい技術の導入が生産力を向上させ経済の発展につながるという構図は、石器時代から続く、技術と経済の基本的な関係である。ただ、農業が経済の中心であった時代には、新技術の導入で生産が増加し経済が拡大しても、それは概ね食糧増産および人口増加を意味していた。その変化はさらなる技術進歩をもたらす要因とはならず、個々の技術進歩が単発的に経済発展をもたらしていたに過ぎなかった。
 ところが、18世紀に欧州諸国で起きた産業革命によって製造業が経済の中心になると、それまでとは違う状況が生じてきた。新たな技術を導入することで生じた供給余力は、さまざまな商品やサービスの生産に振り向けられ、人々の消費水準の引き上げに加えて、生産性を向上させる技術を取り込んだ新しい機械や設備への投資、さらには将来を睨んだ学術研究や技術開発も拡充された。その結果、経済全体としての生産力は一段と拡大し、それがさらなる技術の開発や導入を促すという形で、技術進歩と経済発展が相互に促進しあう構図が成立したのである。その過程で、経済活動に用いられる技術は、高度化するとともに複雑化かつ大規模化していった。その結果、私たちの生活は便利で快適なものになったが、生産現場や交通機関などで起きる事故や、新たに生活圏に投入された物質による健康や環境へのダメージなど、損失の規模も桁違いになってきた。
 そうした変化を受けて、技術と経済との間に新たな関係が生じてきた。経済水準が低く、人々の生活が貧しい段階では、生活の改善や所得水準の向上が優先され、リスクをともなう技術であっても導入に向けた社会的な合意は得られやすかった。また実際に人々の生活や生命に被害が及ぶ事故が起きた場合にも、所得水準の低い時代には、それに対する賠償額の水準も低かった。しかし、経済が発展し生活水準が向上してくると、人々の間に、現在の生活を守りたいという意識が高まってくる。そのためリスクの大きい技術の導入に対する警戒的な見方が強まり、そうした民意を反映して、新技術の導入やそれを用いた企業活動に対する規制が強化される。また事故の際の賠償額も所得水準に対応して増大する。経済発展にともなうこうした変化は、技術導入を制限する方向に働くことになる。


先進国と新興国のギャップ

 技術と経済の関係は、農業が中心で個々の技術進歩が単発的に経済発展をもたらしていた最初のステージから、技術進歩と経済発展が相互に促進しあう産業革命後の第二のステージを経て、経済発展が技術導入を抑制する効果も併せ持つようになった第三のステージへと移行してきた。この第三ステージへの移行については、明確な区切りがあるわけではないが、概ね、レイチェル・カーソンの「沈黙の春」が出版された1962年から、ローマクラブが「成長の限界」を発表した1972年、E.F.シューマッハーの「スモール・イズ・ビューティフル」が注目された1973年にかけての時期と想定できるだろう。
 ただし、それは欧米や日本などの先進国の話であり、その時期には、ソ連や東欧、南米やアジアの一部の国は依然として第二ステージにとどまっており、世界の人口の大半を占めるそれ以外の国は、工業化以前の第一ステージを抜け出してさえいなかった。
 それから40年あまりが経過した2010年代には、先進国の所得水準は、物価変動分を除いた実質ベースで、1970年代初頭のほぼ2倍に上昇している。経済発展が技術導入を制限する効果は、各種の規制や市民による監視の強化といった形で、技術導入に対する一定の抑止力となってきている。しかし、その一方で、かつて第一ステージにあった中国をはじめとするアジア諸国が次々に第二ステージに入ってきた。今世紀に入ってからは出遅れていたアフリカ諸国もそれに続きつつある。
 先進国が第三ステージに入り、それ以外の大部分の国が第一ステージにあった1970年代と違い、現在では、世界人口の約8割、GDPの4割近くを占める国々が、技術進歩と経済発展が急速に進む第二ステージにある。しかも、低廉な労働力を武器に攻勢をかけてくる新興国企業への対抗上、先進国の企業も優位にある技術水準をさらに高めようとしている。人々も、自分たちの雇用を確保するため、それを受け入れる傾向が強い。原発事故を経験したばかりの日本においてさえ、国際競争力維持を理由として、廃棄物処理という重大な問題を抱えた技術である原子力発電を容認する流れになっている。現在の世界は、技術導入にきわめて寛容かつ積極的な時代を迎えていると言えるだろう。


重要さを増す批判精神

 技術が大規模化、複雑化した現代においては、技術に寛容な状態に対して不安を覚えざるを得ないが、そうした状態は、中国、インドをはじめとする新興国の多くが先進国の経済水準に到達しない限り、本質的に解消されることはないだろう。それが実現するまでには、どれだけ楽観的に予想しても20年以上の年月が必要だ。
 私たちは、今後相当な長期にわたって、技術に寛容な時代を生きていくことになる。そこでは、技術や企業活動に対する健全な批判精神を持つ層の存在意義が従来以上に大きくなる。追い風を期待し難い状況下ではあるが、息の長い草の根の活動に期待したい。


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