Works
経済セミナー 2006年7月号掲載
特集:映画にみる「経済」(特集の構成はこちらへ)
映画は時代を映し出す

映画を通じた問題意識の醸成

 経済や社会を理解するために経済学を学ぶ。いたってまっとうなアプローチである。しかし、学んだ学問が現実の経済に根ざしたリアルな問題意識と結びついていなければ、それは学問のための学問の域を出ることはない。これは教える側にもあてはまる。教えようとする学問が立脚している問題意識を学生にきちんと共有させない限り、その学問の本質を伝えることは難しいだろう。とはいえ、きわめて広範に広がる経済学の問題意識のすべてを、現実の経済における体験を通じて醸成することなどできるはずもない。
 映画を出発点にして経済学や経営学を学ぶ、あるいは教えるという発想は、こうした状況を打開するための一策として浮かび上がってきたものだ。多くの映画は、舞台となっている時代や製作された時代の問題意識を色濃く反映している。現実とはかけ離れたような異様な世界を舞台にしたSF作品でも、そこで展開される物語が現実の社会の問題意識を反映している例は少なくない。そうした映画を鑑賞し、その作品世界を疑似体験すれば、そこに含まれるさまざまな問題意識を、相応のリアリティをもって実感できるはずだ。その実感を出発点にして経済学を学んでいけば、ただ教科書だけで学ぶよりも、一段と深い理解に達することが可能になるのではないだろうか。


企業への視線の変遷

 時代を色濃く反映した映画は無数にあるが、ここで、その一部を取り上げてみたい。まずは、タイトルが示すとおりに、時代そのものが本当の主役ともいえる作品であるところから、1936年に製作されたチャップリンの「モダン・タイムス」(Amazonの紹介ページへ)からスタートしよう。主人公チャーリーが働く工場では、経営者が労働者をモニターで監視しながら過酷な労働を強いている。労働者は企業と機械に拘束された奴隷ででもあるかのようだ。それに適応できないチャーリーは、錯乱して工場のラインをめちゃくちゃにしてしまう。そうした様子をドタバタ喜劇のスタイルで描きながらも、この映画では、企業と労働者との対立の構図や、科学技術の進歩とそれに支えられた経済の急速な発展に対する不安感が鮮明に映し出されている。いずれも、この映画の時代に顕著になってきていた問題意識である。
 この映画に限らず、企業と科学技術といえば、犯罪者や怪物、宇宙人などと並んで、敵役の定番ともいえる存在である。しかし、その描かれ方は、時代の移り変わりとともに変化してきている。例えば、「モダン・タイムス」から約20年後の1958年に撮られたオードリー・ヘップバーン主演の「麗しのサブリナ」(Amazonの紹介ページへ)では、ハンフリー・ボガートが演じた巨大企業グループのオーナー経営者は、冷徹な一面もあるが、さまざまな悩みを抱えた、人間的で愛すべき人物として描かれている。彼は、お抱え運転手の娘サブリナ(オードリー・ヘップバーン)の明るく清新な魅力に接して、迷ったあげくに経営者としての仕事を放り出してしまう。この映画が撮られた1950年代の米国では、企業の発展が社会に豊かさをもたらす仕組みが人々に認識されてきたことで、大企業やその経営者も、一概に労働者の敵というのではなく、より身近な、人々に受け入れられた存在になっていたのである。
 そこからさらに30年を経た1980年代の末から90年代初頭にかけては、企業を弱者として描いた映画が相次いでヒットした。まずは1987年、オリバー・ストーン監督がインサイダー取引や敵対的企業買収の横行に警鐘を鳴らした「ウォール街」(Amazonの紹介ページへ)がある。主人公は違法なインサイダー情報を駆使した企業買収でのし上がった大物投資家だ。金儲けのためには法を犯すこともためらわない悪党だが、その苛烈な生き様は魅力的でさえあり、この役を演じたマイケル・ダグラスはアカデミー主演男優賞を獲得している。
 続いて、1990年に全米第1位のヒットとなった「プリティ・ウーマン」(Amazonの紹介ページへ)にも、企業買収のビジネスが登場している。ジュリア・ロバーツとリチャード・ギアが主役を演じたこの映画は、新米娼婦がリッチでハンサムな男性と恋に落ちるという、現代のおとぎ話とでも呼べそうな古典的なラブストーリーだ。主人公は、企業の買収と売却で利益を上げる企業買収グループの主宰者である。彼は、ヒロインと出会い恋に落ちる過程で、自分の仕事の空しさに気付き、企業買収などという「悪の道」から足を洗うことを決心する。彼の場合、「ウォール街」の主人公とは違って、あくまでも法律の枠の中での事業である。しかし、それでもなお、生産活動の主役である企業を犠牲にした金儲けは「悪」だと断じられるのである。
 それは、この映画の時代の米国における一般的な認識を反映してのことと考えられる。これらの映画が撮られた頃の米国では、豊富な資金力を有する投資グループが急速に台頭してきていた。投資家や金融ビジネスという、より強大なパワーの前では、相当な大企業といえども、解体されて売り払われてしまう無力な存在に過ぎない。映画においては、敵役は常に強者である。この時期、経済における強者は、大企業から金融ビジネスへとシフトしつつあったのである。
 そうしたなか、企業買収のビジネスにも理があることを示した映画も登場した。1991年の「アザー・ピープルズ・マネー」(Amazonの紹介ページへ)である。この作品では、ダニー・デビートが演じる主人公の乗っ取り屋は、「プリティ・ウーマン」の主人公とは違って、企業買収の仕事に信念を持って取り組んでいる。映画のクライマックスでは、彼が狙いを付けた企業の株主総会の場で、彼とオーナー経営者(グレゴリー・ペック)との論戦が繰り広げられる。少し長くなるが、二人の論戦から引用してみよう。まずは経営者の発言から。
「企業には、株価を超えた価値があります。企業とは、『生活の資を稼ぎ、友人と出会い、夢を見る場』です。あらゆる意味で、世の中の人々を結び付ける絆なのです。株価に惑わされず、生産の場を守り、お互いに愛し合える社会を大切にしてください。」
 乗っ取り屋の答えはこうだ。
「この会社はもう死んでいる。死んだ会社に投資を続けていてはダメだ。乗っ取り屋は何も生み出せない?それは違う。私は株主のために、死んだ会社から金を作り出すことができる。それを別の投資に回すことで、新しい産業、新しい雇用が生まれ、社会に貢献することだってできるのだ。」
 この議論からは、「企業とは何か」という古くて新しい議論における今日的な問題意識のエッセンスを汲み取ることができるのではないだろうか。
 この映画は、主人公のルックスの差のためか、あるいは乗っ取り屋の理を認めるストーリーが人々に受け入れられなかったためか、「ウォール街」「プリティ・ウーマン」ほどのヒットとはならなかった。しかし、その後の米国社会が、株式市場の活況と金融ビジネスの台頭によって本格的な「金融の時代」に突入していったことを考えると、まさに時代の転換を予告する映画であった。その意味で、今改めて見直す価値のある作品といえるだろう。


科学技術への不安感

 「モダン・タイムス」のもう一方の敵役、科学技術の描かれ方の変遷も追ってみよう。「モダン・タイムス」と同様に大企業と科学技術がタッグを組んで敵役を演じるスタイルは、1926年のドイツ映画「メトロポリス」(Amazonの紹介ページへ)で既に現れている。大企業の経営者が、人の姿をしたロボットを使って労働者を暴走させ、自滅に追い込もうとするというストーリーだ。また、1979年の「エイリアン」(Amazonの紹介ページへ)でも、大企業の手で宇宙船に送り込まれたアンドロイドが、乗務員の安全を無視して、企業の利益に結びつく可能性のある謎の生命体の確保を優先したことが、その後シリーズ化されて延々と続く物語の発端となっている。
 しかし、前述のとおり、企業が敵役としてのパワーを失っていくとともに、技術や機械が独力で敵役を演じるケースが増えてくる。それは、コンピュータの発展と普及を受けた変化でもある。コンピュータという頭脳を得たことで、機械は人間と組まなくても、悪役を演じることができるようになったのである。その端緒といえそうな作品が、1968年の「2001年宇宙の旅」(Amazonの紹介ページへ)だ。この作品では、宇宙船の運航をコントロールするコンピュータHALが、まるで意思を持ったかのように、乗員への反抗を企てるシーンがある。
 そして、この機械対人間の対立を描いた作品の一つの頂点となったのが、アーノルド・シュワルツェネッガーの出世作、1984年の「ターミネーター」(Amazonの紹介ページへ)だ。近未来に意思を獲得して人類の殲滅を企てた機械の群れが、それに抵抗する人類側のリーダーの存在を抹消するために、タイムマシンで彼が生まれる前の時代に殺人ロボットを送り込むという設定である。これは、自動化された産業用ロボットが生産現場で一般化し、それを駆使した日本のメーカーの製品が市場を席巻し、米国内の雇用が脅かされていた時代背景と無縁ではないだろう。
 コンピュータであれロボットであれ、経済の発展と豊かさの実現に大いに貢献していることは理解できても、その仕組みが多くの人の理解を超えていることや、それが社会を大きく変えていくことへの漠然とした不安が拭えないところに、それらを敵役に据えた映画がヒットする素地があるのだろう。
 そうした科学技術への不安を背景とした作品がある一方で、本当に恐いのは人間自身ではないかというスタンスに立った作品も少なくない。1981年に製作されたハリソン・フォード主演の「ブレードランナー」(Amazonの紹介ページへ)では、人間によって狩りだされる人造人間の悲哀が描かれている。また、同じハリソン・フォードがオーストラリア出身のピーター・ウィアー監督と組んで撮った1985年の「刑事ジョン・ブック目撃者」(Amazonの紹介ページへ)と翌1986年の「モスキート・コースト」(Amazonの紹介ページへ)では、無制限の技術進歩とそれをエンジンとした経済の発展が、人々のモラルや伝統文化を破壊していくことに対する危機感が提起されている。科学技術と経済の発展に対する漠然とした不安感は、多くの映画のなかに、時代の変化に応じたさまざまな形の敵役を送り込んできている。


映画は時代を超える

 ここまで、映画が撮られた時代の空気を映し出す事例を並べてきたが、一つの映画が、観られる時代や場所によって異なったインプリケーションを持つケースも少なくない。例えば、金融ビジネスの影響力の増大を描いた「ウォール街」「プリティ・ウーマン」「アザー・ピープルズ・マネー」は、ライブドア、村上ファンドと、投資グループの事件が相次いで注目を集めた今日の日本においては、公開当事よりもはるかにリアルな実感をもって受け止められるだろう。また、人間らしい意思を持ちながら、苛酷な労働に従事させられ、人としての存在を否定される人造人間の悲しみを描いた「ブレードランナー」のストーリーは、21世紀の世界にあっては、欧米先進諸国における移民やマイノリティの問題の暗喩としてのリアリティを一段と強めている。
 最初に取り上げた「モダン・タイムス」にも、現代の日本の経済、社会を考えるうえでのヒントが含まれている。それは、人としての生き方、働き方に関する問題意識だ。チャップリンはこの映画を通じて、資本家の横暴への憤りだけでなく、それに飼いならされて非人間的な仕事を黙々とこなす労働者に対しても批判的な視線を向けている。工場での細分化された単調な作業に適応できずに精神を病んでしまった主人公と、適応できた多くの労働者。果たして、そのどちらが人としてまともなのか。
 この映画の冒頭では、駅から工場に向かって歩く労働者たちの姿に羊の群れの映像がオーバーラップされる。その二つの映像は、満員電車で勤め先に通う、現代の日本のサラリーマンの姿とも重なるだろう。その文脈でいえば、単純作業に適応できなかったチャーリーは、現代の日本においてはフリーターやニートになぞらえることができる。私たちが、彼らを羊の群れに迎え入れようと努力することは、果たして望ましいことなのだろうか。70年前に製作された「モダン・タイムス」という作品は、現代の日本に生きる私たちに、そうした重い問いを投げかけているように感じられる。
 時代を超えて人々に愛される映画は、往々にして、時代を超えて人々の心に刺さるメッセージを備えているものだ。

 時代を映し、時代を超越するのは映画だけとは限らない。小説や演劇、テレビドラマなどにも同様のことがいえる。今回、そうしたなかから映画を取り上げたのは、議論の素材や教材としての使い勝手の良さのためだ。映画を1本観るのに要する時間は2時間程度。本を1冊読むのに比べてはるかに短い時間ですむ。さらに、最近ではDVDの宅配レンタルのサービスも登場しており(たとえばこちら、TSUTAYAの「DISCAS」)、希望の映画を簡単に見付けて手軽に鑑賞できるようにもなっている。教材としての使い勝手はきわめて良いといえるのではないだろうか。
 本稿では、複数の映画を観比べることで、それらの時代との関わり方を概観してみたが、筆者は、webマガジン“recre”誌上の「映画でみる私たちの経済」という連載企画では、経済や社会におけるさまざまな論点を、一つのテーマにつき1本の映画を素材にして考えるというスタイルでも書いてきている。興味を持たれた方は、そちらもご覧いただければ幸いである。


本稿で取り上げた映画

■モダン・タイムス(Amazonの紹介ページへ)
■麗しのサブリナ(Amazonの紹介ページへ)
■ウォール街(Amazonの紹介ページへ)
■プリティ・ウーマン(Amazonの紹介ページへ)
■アザー・ピープルズ・マネー(Amazonの紹介ページへ)
■メトロポリス(Amazonの紹介ページへ)
■エイリアン(Amazonの紹介ページへ)
■2001年宇宙の旅(Amazonの紹介ページへ)
■ターミネーター(Amazonの紹介ページへ)
■ブレードランナー(Amazonの紹介ページへ)
■刑事ジョン・ブック 目撃者(Amazonの紹介ページへ)
■モスキートコースト(Amazonの紹介ページへ)


関連レポート

■「映画でみる私たちの経済」
 (弘文堂webマガジン“recre” 2005年3月〜2006年3月連載)


Works総リスト
<< TOPページへ戻る
<< アンケートにご協力ください
Copyright(C)2003