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環境文明21会報 2011年12月号掲載
転換期の世界−時代は混沌の局面へ−

相次ぐ危機の背景

 2011年、世界経済は辛うじて成長基調を維持したが、EU諸国の財政・金融不安や、アラブ諸国の長期独裁政権の崩壊、格差の拡大に業を煮やした人々によるウォール街でのデモなど、次元の異なるさまざまな危機、混乱に見舞われた。しかし、一歩後ろに退いて、歴史的な視点から眺めてみると、21世紀に入って以降、経済や社会のさまざまな領域で相次いで生じた危機の多くは、1980年代以降の世界経済の発展パターンの欠陥に起因するものであることに気付かされる。
 1980年代以降の世界では、市場における自由な競争をエンジンに据え、それを機能させるために政府の役割の縮小と規制緩和を進める「小さな政府」の路線が主流であった。米国のレーガノミクスや英国のサッチャリズムが代表格だが、他の欧州諸国や日本なども、それに続いた。加えて、ケ小平政権下の中国や、共産主義政権が崩壊した東欧諸国や旧ソ連諸国も、市場経済の導入に大きく舵を切った。その結果、世界経済は1970年代までの停滞を抜け出し、1980年代から90年代にかけて、旧・共産圏の国々も含めて、旺盛な活力を取り戻したのである。
 しかし、その活況の裏側では、さまざまな歪みや弊害が膨らんでいた。自由競争の波に上手く乗れた少数の人とそれ以外の大多数の人の間で貧富の格差が拡大した。世界中の株式や不動産の市場で、過剰な値上がり期待に起因するバブルの膨張と崩壊が相次いだ。産業規制の緩和にともなって、新興国では環境破壊が進み、先進国ではサブプライムに象徴されるような金融産業の暴走の結果で生じた膨大な不良資産が、証券化の手法によって世界中にばら撒かれた。市場での競争に打ち勝つことを重視する価値観の定着にともない、多くの個人や企業が私益の追求に走るあまり、公共の福祉や経済的・社会的弱者への配慮が希薄になる傾向が生じた。これらの歪みは、現在まで続く世界的な経済危機や、世界各地で相次いでいるテロや暴動、大規模なデモの発生といった形で、顕在化したのである。


資本主義の浮沈の歴史

 世界は今、1980年代、90年代の活況のツケを払わされている状況と言えるが、そうした資本主義の浮沈は、過去にも繰り返されてきた。20世紀初頭までの草創期の資本主義は、現在以上に自由と競争に傾斜しており、その結果として、極端な好況と不況の波が社会を混乱させ、貧富の格差も拡大した。とくに1929年からの大恐慌の痛手はきわめて大きく、多くの国が自国の産業を守るために貿易の制限など、いわゆる保護主義的な政策を採ったことで、国家間の対立が深まり、第二次世界大戦の一因ともなった。
 こうした悲惨な状況のなかで登場したのが、計画経済を基軸とする共産主義だ。1922年に成立したソ連をはじめ、大戦後には東欧諸国や中国などが、資本主義を放棄して共産主義の体制に移行した。他方、資本主義の原則は維持しつつ、その弊害を是正していこうという立場から生み出されたのが、社会保障政策により社会の安定化を目指す社会民主主義と、財政政策と金融政策の組み合わせで景気変動の抑制を目指すケインズ主義を二本柱とする「大きな政府」の路線であった。これら二つの政策理念は、第二次世界大戦後の米国や欧州、日本で本格的に導入され、1950年代、60年代には社会と経済の安定的な発展に大きな役割を果たしたのである。
 しかし1970年代になると、「大きな政府」の弊害が顕在化してきた。人々の間には、社会保障に依存して働く意欲を低下させる傾向が生じた。競争制限的な産業規制が市場における各企業の地位を固定化したことは、生産する商品やサービスの質的な向上やコスト削減に向けた努力を減退させ、肥大化した政府の事業とともに、さまざまな非効率を蓄積させた。また、ケインズ政策は次第に景気刺激に偏るようになり、各国の経済にインフレ体質が定着した。さらに、不況下でもインフレが続くスタグフレーションの現象まで発生し、世界経済は活力を喪失していった。
 こうした「大きな政府」の弊害を是正するための方策が、1980年代以降の「小さな政府」の路線であり、それは経済を再び活性化させることには成功した。しかし、資本主義の草創期への回帰とも言えるその路線は、草創期の展開をなぞるかのように、格差の拡大や経済の不安定化といった弊害をもたらしたのである。


「節度ある政府」の路線と「公の時代」

 こうした歴史を踏まえると、これからの世界が採るべき針路は、自ずと浮かび上がってくる。「大きな政府」と「小さな政府」のいずれの路線も、成果を上げた時期があった半面、行き過ぎると世界に停滞や混乱をもたらした。そう考えると、これからの世界が目指すべき方向は、規制と自由、競争と計画の間でバランスを保ち、大き過ぎも小さ過ぎもしない政府を有する、いわば「節度ある政府」の路線であることは明らかだろう。
 経済の混乱がピークに達していた2009年1月、米国のオバマ新大統領は、就任演説で「大きな政府か小さな政府かではない。問題は政府が機能するか否かだ」と述べた。この考え方は「節度ある政府」の路線に通じるものと言える。オバマ政権は、環境分野をはじめとする新しい産業の発展を政府が支援する方針や、医療制度改革などによるセイフティネットの拡充、金融産業に対する規制強化など、それまでの、「小さ過ぎる政府」の路線からの軌道修正となる政策を次々と打ち出してきた。同様の動きは欧州諸国や日本、中国などでも生じている。その一方で、米国の保守層による「茶会党運動」のような極端なものも含めて、政府の肥大化を懸念する声も、世界各地で高まってきている。こうした、一見相反するベクトルが重なることで、「節度ある政府」の路線は、世界的な時代潮流になっていくものと考えられる。
 他方、これまでの資本主義の歴史について、「大きな政府」と「小さな政府」という二元論的な解釈から離れると、また別の答えも見えてくる。たとえば、1950年代、60年代は政府による管理や計画が経済を動かした「官の時代」、1980年代、90年代は個人や企業が利益を追求する競争が経済を発展させた「私の時代」であったという整理だ。その視点から次の時代を見通すと、次に来るのは、人々の連携と協調が大きな役割を果たす「公の時代」ではないかという仮説が浮かび上がってくる。想定されるのは、既に存在感を高めているNPOやNGO、さらには市民が直接参加する自治の枠組みや、ボランティア組織が、経済、社会において主要な役割を担うような時代だ。


世界は転換期の混沌へ

 とはいえ2011年の段階では、「公の時代」の考え方は仮説の域を出ていないし、「節度ある政府」の路線も確かなものにはなっていない。経済の停滞から抜け出せない先進諸国の政権は国民の支持を失い大胆な政策を打ち出せない状況にある。米国のオバマ政権も例外ではない。市民の連携という意味では、アラブの民衆の蜂起や、米国ウォール街のデモといった動きはあったが、いずれも既存の枠組みの破壊につながるものではあるが、新時代のパラダイムを提示するものにはなっていない。社会と経済の混迷は、むしろ深まっている印象すらある。2010年代前半、世界は、新時代への転換期に入り、新たな枠組みの創造に先立つ破壊がもたらす混沌のなかで、苦闘を続けることになるのかもしれない。


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