Works
The World Compass(三井物産戦略研究所機関誌)
2002年9月号掲載
流通産業 欧州からの考察 vol.2
商業規制−マクロの視点と生活者の視点−
(Views Europe Special 005から改稿)

 前号で述べたように、商業規制は、国ごとの流通産業構造を決定づける重要なファクターであるが、それと同時に、人々の生活や産業競争力など、経済のさまざまな側面に影響を及ぼしている。今回は、商業規制と経済全体との関係について、より幅広い視点から考えてみたい。


1.雇用と生産性

 商業規制が経済全体に与える影響について、経済政策の主要ターゲットである雇用および生産性との関係から考えてみよう。
 一般に、旧来型の個人商店に比べて、セルフサービスやチェーンオペレーションを導入した大規模店、チェーン店の方が、同じだけの商品を仕入れて販売するのに要する労働力は少なくてすむ。そのため、個人商店が大規模店、チェーン店に置き換わっていけば、商品流通の生産性が向上する反面、雇用は減少することが予想される。逆にいえば、一義的には、大規模店やチェーン店の出店、営業を制限する商業規制は、生産性の向上を妨げる一方で、流通業の雇用を維持する効果があると考えられる(下注参照)。
 しかし、大規模店やチェーン店へのシフトが進んでも、それにともなう労働力の節約がもたらすコスト削減効果が販売価格の引き下げに回されれば、販売数量が拡大し雇用も増加する可能性もある。
  生産性向上
 →物価低下(あるいは物価上昇率の低下)
 →実質所得向上
 →消費需要向上
 →雇用拡大
というプロセスだ。ここで生じる追加的な雇用と、そもそもの段階で減少した雇用のいずれが大きいかは、経済環境によって違ってくる。
 従来から規制の緩やかな米国では、90年代後半、絶好調の経済の下で、ウォルマート(Wal-Mart)をはじめとする大規模店チェーンが低価格を武器に急成長を遂げ、流通業の生産性上昇率は大幅に高まった。この時期には、労働生産性と同時に雇用者数も拡大している(The World Compass 2000年6月号掲載レポート「米国経済の好調を支えた流通業」参照)。前述のプロセスで生じる追加的な雇用が、そもそもの雇用減を上回った事例である。
 それに対して、大店法が緩和され、大規模店、チェーン店が急増した90年代の日本では、流通業の生産性向上と競争激化の結果、物価上昇率が低下した。「価格破壊」と呼ばれた現象である。しかし、この時期は、バブル崩壊後の経済停滞期にあたったため、物価上昇率の低下が消費の拡大には結びつかず、流通業の雇用は伸び悩んだ。
 この日・米の対照が示しているのは、商業規制の影響は、経済環境によって、まったく違ったものになり得るということだ。
 ここまでは、雇用の定量的な側面を見てきたが、雇用の問題を考える際には、単に絶対数だけでなく、就業機会としての質的な問題も無視できない。たとえば、大規模店やチェーン店のパートタイムのレジ打ちと、個人商店の店主とは、雇用者数、あるいは就業機会として数の上では同様に扱われるが、質的にはまったく異なっている。所得水準もそうだが、就業機会としての安定性、仕事に自分の創意工夫を活かせる、といった点から判断する限り、商店主の方が「質の高い」就業機会だと考えられる。
 雇用の質をめぐっては、厳しい商業規制を敷いてきたドイツ、フランスと、規制が緩やかだった米国とは、対照的な歴史を歩んできたといえる。フランスやドイツの厳しい商業規制は、雇用の絶対数というよりも、個人商店主をはじめとする質の高い就業機会の維持に貢献してきた。それに対して、90年代後半の米国では、流通産業の雇用の絶対数は増えたが、その大半が低賃金の単純労働であり、質的にはむしろ低下したと言われている。とはいえ、貧しい国からの移民を受け入れ続け、常に貧困の問題に直面してきた米国では、雇用の質よりも、その絶対数の増加を目指さざるを得ないという事情がある。たとえ低賃金の仕事であっても、雇用の絶対数を大幅に増加させた90年代の流通産業は、米国社会に大きく貢献したと評価できる(The World Compass 2000年10月号掲載レポート「米国経済 繁栄と貧困と」参照)。

(注)
逆に、商業規制が流通の生産性を向上させているケースもある。その典型が、前号でも触れたドイツの閉店法である。この法律は、ガソリンスタンドに併設された小規模店舗や旅行者向けの土産物店など一部の例外を除いて、すべての小売店の日曜日と平日午後8時以降、土曜日午後4時以降の営業を禁じている。小売店の営業時間が限られているため、従業員の労働時間は短くてすむ。消費者の利便性と引き換えに、流通の効率を維持する形になっているわけだ。前号で述べたとおりドイツでは、昔ながらの個人商店が閉店法に守られて数多く残っており、流通の効率性を落とす要因となっているが、閉店法の効率化効果が、それを補っているということもできる。


2.生活者にとっての商業規制

 ドイツやフランスの街には、厳しい商業規制に守られて、昔ながらの市場(いちば)や個人商店が、大規模店やチェーン店と共存している。市場や個人商店は、質の高い就業機会を提供すると同時に、大規模店やチェーン店とは異質のサービスを提供する役割も担っている。店の主人が顧客一人ひとりを覚えていて、黙っていても「いつもの」商品が出てきたり、ふさわしいと考えられる商品を薦めてくれたりといった「人肌の」サービスだ。買物のための機能だけでなく、店主・店員との何気ない会話の一つ一つが、顧客の満足度を高める要因となっている。ドイツやフランスでは、そこで暮らしている人々自身が、昔ながらの市場や個人商店の雰囲気、人肌のサービスを好む傾向があるようで、代表的なグローバルリテーラーの一つ、カルフール(Carrefour、仏)などは、自社の店舗に、パリの市場の雰囲気やサービスを持ち込むことを目指している。
 商業規制が守っているのは、直接的には、昔ながらの市場や個人商店ということになるが、それはさらに、街の景観や雰囲気、商品の売り買いを通した地域住民間のコミュニケーションや、選択肢としての個人商店主という生き方を残していくことにもつながっている。それらを一括りに表現すると、それぞれの国の人々が歴史を通じて築いてきた「生活文化」ということになるだろう。
 その反面、商業規制の厳しい国では、大規模店が少なかったり、営業時間が短かったりと、そこで暮らす人々に不便を強いている面もある。加えて、大規模店間、チェーン店間の価格競争が緩やかな分、商品の価格も高めに維持されやすい。
 商業政策は、そうしたメリットとデメリットのバランスをどう取るかという国民的なコンセンサスの上に成立している。フランスやドイツでは、自国民の生活文化を守ろうというコンセンサスが、その厳しい商業規制に表れているということだ。
 ドイツでは、閉店法にともなう商店の営業時間の短さに対応する意味から、日曜日のウインドウ・ショッピングが生活習慣の一つとして定着している。日曜日のドイツ各都市の中心商業地域では、飲食店以外は閉まっているが、多くの人々がウインドウ・ショッピングを楽しんでいる。日曜日に店、商品に目をつけておいて、平日に短時間で買物をすませるというパターンが定着しているのだそうだ。店の方でもそれを意識して、人々にアピールするようなショーウインドウ作りを心がけている。

日曜日のミュンヘン市の繁華街でウインドウ・ショッピングを楽しむ人々
(写真をクリックすると拡大画像を表示します。)

 ドイツの閉店法は96年、世界的な自由化の潮流を背景に緩和された。従来午後6時半とされていた平日の閉店時間が、8時まで伸ばされたのである。しかし消費者の反応は鈍く、6時半から8時までの時間帯の購買活動が定着するまでには、数年間を要した。その間には、閉店時間をもとの6時半に戻した店もあったそうだ。また、さらに規制を緩和して、日曜日の営業を認めようという動きもあったが、一般の支持を集めることができず、立ち消えになってしまっている。他国の人からすると不便きわまるように思える閉店法も、ドイツの人々にとっては、すでに生活の一部となっているのかもしれない。
 他方、守るべき生活文化がない、あるいは、国民がそれを重視していない国では、流通の効率性や消費者の利便性を重視して、商業規制は緩やかなものになりやすい。さまざまな異なった文化的背景を背負った人々で社会を形成している米国がその典型といえる。英国においても、守るべきは貴族階級の文化であって大衆の生活文化ではない、というような雰囲気が感じられる(もっとも、近年では、衰退の著しい伝統的なパブの保護を訴える動きもあるようで、一概には言えないところではあるが)。
 日本の状況も、米国や英国に近い。ただ、日本では、生活文化がもとからなかったわけではない。日本では、戦後の復興期から高度成長にかけて、欧米式の生活様式が急速に広まると同時に、地方から都市圏への急速な人口移動が進んだ。その結果、伝統的な生活文化は風化し、地域のコミュニティは衰退したのである。さらに、この時期は、大規模店、チェーン店が導入され、急速に成長した時期と重なっている。そのため、従来の生活文化やコミュニティを基盤として生き残ってきた個人商店や旧来型の商店街は一気に危機に瀕することになった。大店法(74年までは百貨店法)に象徴される日本の商業規制は、彼らをそうした急激な変化から守ることを主眼とした一種の激変緩和策であり、生活文化を守ろうという意図が明確なフランスやドイツの規制とは、かなり性格の違うものだったのである。


3.生活文化と産業競争力

 商業規制に守られてきた欧州諸国の生活文化は、消費財の分野を中心とした「ブランド力」の基盤として、欧州製品の競争力の源泉となっている。
 欧州からの移民が建国した米国はもちろん、日本においても、人々の生活様式は、かなりの部分で欧州の生活文化をベースとしている。それもあって、二大経済大国である米国、日本では、その生活文化の源流である欧州諸国の街並みや人々の暮らしに対して、一種の憧れのような気持ちを抱いている人が少なくない。欧州で作られた商品に対する志向も、その反映と考えられる。これは、いわゆる高級ブランドをはじめとするファッション分野が典型だが、主力産業である自動車や家電製品にもあてはまる。
 欧州製品に対する志向は、商品を作っているメーカーの力だけでなく、それを選んだ欧州の消費者の、生活文化に基づいたセンスや価値基準に対する評価、信頼感から生み出されている部分も大きいように思われる。だからこそ、商品自体が伝統的な技術やデザインに基づいていなくても、また、まったく新しいカテゴリーの商品であっても、欧州で「選ばれた」商品ということで、米・日の消費者に対する訴求力が生まれるのである。こうした状況は、イリュージョン(幻想)の部分も含めて、欧州企業のマーケティング戦略上、きわめて大きなアドバンテージとなっている。
 ここでとらえた欧州商品の訴求力は、企業の基本的な競争力である「良いものを安く作る力」や「新しいものを生み出す力」とは異質なものであるが、間違いなく競争力の一つである。あえて言えば「高く売る力」ということになる。これは「ブランド力」の中核であり、欧州では、自社、あるいは自社ブランドの価値を維持・向上させることに、戦略上の大きなプライオリティを与えている企業が少なくない。欧州諸国の生活文化は、産業競争力の一部であるブランド力を維持していくための、一種の産業インフラでもあるということだ。
 他方、大半の日本の企業にとって「高く売る力」は長期にわたって盲点であった。高く売る努力を怠ってきたことは、現在のデフレの一因でもある。また、日本企業の最大の武器であった「安く作る力」の面では、確実に東南アジア諸国や中国にテリトリーを奪われてきている。そうした状況下、日本の企業も「高く売る」ための方策として、ブランド・マネジメントの重要性を認識しはじめているが、そのためのインフラともいえる生活文化を堅持してきた欧州諸国の企業に比べて不利は否めない。
 欧州諸国の商業規制は、雇用と小売サービスの質だけでなく、生活文化の維持を通じて、産業や企業の競争力にも影響を与えてきた。中東欧やアジアの国々の供給圧力が先進国の産業を脅かしている今日、その効果の重要性は、あらためて浮き彫りになっている。


連載 流通産業 欧州からの視点

■vol.1 流通産業構造−国ごとの独自性の背景−
■vol.2 商業規制−マクロの視点と生活者の視点−
■vol.3 リテールビジネスの国際展開−「資本の論理」と「小売の論理」−


関連レポート

■消費とリテールの国際比較−経済の成熟化とパブリック・ニーズ−
 (日経BP社webサイト“Realtime Retail”連載 2005年10月6日公開)
■流通産業の歴史的展開
 (The World Compass 2004年5月号掲載)
■競争力を考える−三つの力と日本の課題−
 (読売ADリポートojo2002年3月号掲載)
■商業政策の明と暗−規制で守る生活文化−
 (読売ADリポートojo2002年5月号掲載)
■都市とインフラ−インフラ整備をどうするか−
 (読売ADリポートojo 2002年4月号掲載)


Viewsバックナンバー


Works総リスト
<< TOPページへ戻る
<< アンケートにご協力ください
Copyright(C)2003