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読売ADリポートojo 2006年7-8月号掲載
連載「経済を読み解く」第69回
金融時代の予兆−「乗っ取り屋」の台頭が告げる時代の転機−

 ライブドアに続いて村上ファンド。派手な企業買収で注目を集めた投資会社の違法行為が相次いで明らかになった。しかし、彼らに対する否定的な見方は、彼らの違法性が明らかになる前から高まっていた。その一方で、硬直化した日本企業の経営の在り方に一石を投じたという点で、彼らの活動にも意味があったという意見もある。
 そうした賛否両論が出てくるのは、すでに20年前の米国で、彼らのような「乗っ取り屋」が台頭し、それが契機となって米国社会が大きく変質した歴史が認識されているためでもあるだろう。そこで今回は、「乗っ取り屋」が台頭して以降の米国の変貌の過程を、改めて概観してみたい。


米国の「乗っ取り屋」

 米国における「乗っ取り屋」の活動は、1980年代半ばに本格化した。その背景には70年代から長く続いていた株式市場の低迷があった。当時の米国では、発行している株式の時価総額が、その企業が保有している資産額から負債額を差し引いた純資産の総額を下回るようなケースが少なくなかった。そうした企業の株を買い占めて経営権を握ったうえで資産を売り払ってしまえば、確実に儲かる。それを実行に移したのが、「乗っ取り屋」であった。
 彼らの活動は社会問題化し、映画にまで描かれている。87年にマイケル・ダグラスがアカデミー主演男優賞を獲得した「ウォール街」や、91年の全米ナンバーワン・ヒットである「プリティ・ウーマン」がその代表だ。
 これらの映画では、「乗っ取り屋」による敵対的な企業買収は、悪行として描かれている。「ウォール街」の主人公は金儲けのためなら手段を選ばない男で、司直の手に落ちる結末は、ライブドアや村上ファンドの事件そのままだ。それに対して「プリティ・ウーマン」では、主人公の事業は、あくまでも法律の範囲内でありながら、彼自身が、その事業の正当性に疑問を抱いて自ら手を引いていくという設定になっている。そのストーリーが人々に受け入れられ、大ヒットしたことからみると、当時の米国では、今日の日本と同様かそれ以上に、企業買収のビジネスに対して否定的な見方が一般的であったことが想像できる。


効率化の光と影

 買収した企業を解体しバラ売りするだけで儲かるようなケースは、90年代に入ると急減した。「乗っ取り屋」の活動もあって、株価が上昇に転じたためである。
 とはいえ、それで企業買収のビジネスが後退したわけではない。単なる解体狙いの買収に代わって、業績が低迷している企業の株式を買い占めて、経営を立て直して株価を引き上げたうえで、株式を売却して利益を出そうという手法が活発化したのである。そこでは多くの場合、経営陣を入れ替えて事業内容を見直させたうえで、事業における無駄や非効率の徹底的な排除によって利益を拡大させる手法が採られた。
 そうした動きは、買収された企業だけにとどまるものではなかった。買収されるのを防ぐため、多くの企業が事業の効率化、合理化を推し進めたのである。それを実行するために、汎用的な企業経営の技能を習得し、事業改革を進める手腕を持った専門職としての企業経営者を自社の経営陣に迎え入れる企業も増えた。
 その結果、多くの企業が利益水準を向上させ、90年代後半には、株価は全般的に大きく上昇した。同時に、利益の拡大に成功した企業経営者の所得水準が大幅に上昇する一方で、効率化のために多くの中間層、ホワイトカラー層が職を失い、条件の悪い仕事に転じることを余儀なくされた。また、事業の効率化の方策として、低賃金の労働力の活用が進められたり、定型的な業務を外部に委託するアウトソーシングが一般化したことで、低賃金の移民やマイノリティーの人々の就業機会が拡大した。この時期の効率化の潮流は、企業経営者などの上層と低賃金の下層の人々に有利に働く一方、多数派である中間層にとってはきわめて厳しいものだったのである。
 この時期、株式市場の主役は、ゲリラ的な「乗っ取り屋」から、一般の人々の資産を預かって巨額の資金を運用する投資信託ファンドや年金基金へとシフトしていった。そのため、一部の資産家だけでなく、中間層まで含む多くの人々が、効率化の成果である株価上昇の恩恵を享受できた。大多数の米国民にとっては、働いて給与を稼ぐには厳しいが、資産からの収入が家計を潤すという状況が生じたのである。


日本でも変化の予兆?

 株式市場と投資ファンドが企業を支配する一方で、労働よりも資産運用が重視される傾向にある米国の状況は、決して古くからの米国本来の姿ではない。あくまでも、80年代後半の「乗っ取り屋」の台頭に端を発し、90年代の株式ブームを受けて生じた、ここ10年あまりの時代潮流に過ぎない。いわば「金融の時代」である。
 「乗っ取り屋」が注目を集める今日の日本の状況は、金融時代の入り口に立った頃の米国とオーバーラップする。先行する米国の影響もあって、長期不況からの脱却の過程では、十分とはいえないまでも効率化の潮流も経験した。その際にはホワイトカラー層が苦境に立たされた。人々の金融資産の構成においても、預貯金から投資信託などファンド性の商品へのシフトが進みはじめている。
 もちろん、似たような現象が起こっているからといって、日本が米国型の金融時代に向かっているとは限らない。しかし、「乗っ取り屋」が注目を集める今の状況では、米国の金融時代の現状を、そのネガティブな面も含めて、きちんと理解しておくことには、大いに意味があるだろう。


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