Works
The World Compass(三井物産戦略研究所機関誌)
2002年10月号掲載
特集 新・消費市場へのアプローチ
対談「CRMのポテンシャル」
宮副謙司氏(IBM ビジネスコンサルティングサービス)vs 小村智宏

 高度化、複雑化した消費市場を舞台にビジネスを展開するためには、市場と自社の顧客を深く知ることが欠かせない。そのための強力な武器として期待されているのがCRM(カスタマー・リレーションシップ・マネジメント)である。ここでは、さまざまな企業に対して対消費者戦略の立案をサポートしてこられた IBM ビジネスコンサルティング サービスの宮副謙司シニアマネジャーと、当研究所の小村智宏主任研究員による、CRMの現状とポテンシャルについての議論を紹介する。
(三井物産戦略研究所 The World Compass 編集部)

宮副謙司(みやぞえけんし)氏
IBM ビジネスコンサルティング サービス シニアマネジャー
 西武百貨店を経て、PwCコンサルティングにて、小売業の経営革新・業態革新、および顧客マーケティング戦略策定に従事。著書に、『新「百貨店」バラ色産業論』(94年)、『流通ABC革命』(共著、98年)、『小売業変革の戦略「関係マーケティング」の展開』(98年)、『ソリューション・セリング』(99年)など


プロモーション手法から生まれたCRM

小村 消費の低迷、流通企業の不振という状況が続きますが、今日は、CRM(カスタマー・リレーションシップ・マネジメント)の現在ということで、その将来性も含めて多面的に議論させていただければと考えています。

宮副 近年のリテールビジネスの不振は、消費者がいろいろな意味で豊かになったのに、供給側、企業側がそれに対応できるほどには成長できていないためではないかと考えています。消費者の潜在的なニーズを発掘して、それに見合った商品なりサービスなりを、ニーズに見合ったやり方で提供すれば、消費はもっと盛り上がる。
 そのために、企業側としては、自分の店に買いに来てくれるお客さん、自社の製品を買ってくれる顧客を知ることがすごく大事になってくる。そこでCRMが注目されるようになってきたわけです。
 ただ、顧客にどういう価値を提供するかを考えるために顧客情報が必要だという認識でCRMがスタートしていれば理想的なのですが、実際にはそうはなっていません。CRMの前段階として、1996年ごろからポイントカードへの取り組みが活発化したのですが、これは顧客の囲い込みとか、顧客へのDM(ダイレクトメール)の効率化というところだけが注目されていました。

小村 あの段階では実態としては単なる値引きによる客寄せ、プロモーションの変形だったわけですよね。そのころからもうCRMという言葉はあったんですか。

宮副 いや、ないと思います。CRMの原点は、アメリカの航空会社が導入したFFP(フリークエント・フライヤーズ・プログラム)や、その小売業版であるFSP(フリークエント・ショッパーズ・プログラム)といった、やはりプロモーションの手法でした。それをもっと活用しようということで、顧客マーケティング、関係性マーケティングの理論的な背景も加わって、CRMのコンセプトが生まれてきたわけです。


ITドリブンで浸透が加速

小村 去年の夏に経団連のミッションで、アメリカのIT産業を視察するという企画があって私も参加させてもらったんです。ちょうどIT関連企業の株価が下がって、業績もおかしくなりはじめたころだったのですが、どこへ行っても、これからCRMが盛り上がるから、サーバーやシステムの需要がどんどん出てくるという強気派が目立っていました。少し前だとSCM(サプライ・チェーン・マネジメント)が流行の主役だったと思うんですが、そこにCRMも加わってきたという印象でした。

宮副 2001年はアメリカの小売業協会のテーマがマルチチャネルとCRMでした。ITドリブンというか、ITの高度化の結果として、データがとれればこういう分析ができる、こういうアプローチができるというのが広がっていって、先行的な会社でそうしたアプローチを進めるところが増えてきて、バラ色の夢物語が増幅されたところがあったのでしょう。

小村 なるほど。97年から98年にかけて、流通業と金融ビジネスの融合というテーマで調査したときに「顧客データ収集のための金融ビジネス」というコンセプトがカギだと考えたんですが、当時はまだ技術的な制約やコンピューターの能力の限界があって、具体的な成果が挙がるところまではいっていなかった。そこから4、5年たって全く違う状況になってきているという気はしますね。

宮副 データウエアハウスの許容量が格段に増えましたし、ITを使うコストも低下してきています。それできっと、SCMの次は攻めの経営だというような感じで、今度はCRMだという話になったのでしょう。

小村 日本でも実際に導入しているところは多いんですか。

宮副 顧客データを集めて巨大なデータベースを作っているところは増えています。データベースをデータウエアハウスに置きかえて、CRMの分析ツールを導入してやっているところも何社もあると思います。ただ、分析しきれていない。そこがネックになっている。

小村 そこをサポートするのが、一つにはコンサルティング・ファームということになるわけでしょう。

宮副 と言いたいところですけれども、実際のところはかなりギャップがありまして。いまはまだCRMの前段階というか前提になる部分で、データをどう整理しましょうかという段階ですね。既存の企業であればいろいろなところに顧客データを持っています。売り場でも持っているし、カードを発行していたり。それを一元化するだけでも大変です。その部分で、かなりの時間がかかってしまうところが多いのが現実です。


発展段階では多面的なMDへの活用も

小村 いまはCRMが流行語化していて、導入すること自体が一種のゴールになってしまっていると思うのですが、それだけではやはり行き詰まってしまうんでしょうね。

宮副 そう思います。CRMを導入するための投資はかなり大きくなりますが、DMだとかプロモーションだとかいうベーシックな段階でのリターンだけでは回収できません。いまのところ、先行している数社でも基本的な部分での成果しかあがっていないのですが、その先の段階へ進まない限り、投資の採算はとれません。

小村 その先の段階というのは具体的にはどういうことでしょうか。

宮副 CRMには基本段階と発展段階とがあると考えています。ここまででお話ししてきたような、データを収集・分析して顧客層を知り、そのデータを活用して、それぞれの顧客にふさわしいアプローチを行っていくという部分が基本段階です。その先には、収集した顧客データをさらに活用する発展段階がある。そこでは、三つの方向があると考えています。一つはマーチャンダイジング(MD)への活用です。MDには、当然POSデータ、商品データの分析も使えるわけですが、それ以上に、どういう顧客がいて、彼らがどういう消費パターンを示しているかという生データと、それを整理したデータベースは、きわめて有用な材料になります。例えば、サプライヤーと組んで商品開発に活用できます。従来関係がなかった先とでも、それが金融やレジャーなどのサービス事業であっても、コラボレートする機会ができてきます。


連続的な業態開発のための武器

宮副 二つ目は、業態開発への活用です。優良顧客を把握できれば、当然既存の業態でも対応するのだけれども、そこにもっとフォーカスした新しい業態を開発することも可能になる。その結果、業態を複数持つことができる。百貨店は百貨店業態だけ、GMSはGMS業態だけではなくて、業態モデルを複数持っていれば、当然いろいろな立地に店舗を出せる。

小村 成長戦略でもあるし、事業ポートフォリオという考え方もある。従来ですと、業態の寿命が尽きると企業の寿命も尽きるというのが普通でした。百貨店という業態が成長性を失うと百貨店をやっている企業も成長性を失う。あるいはGMSがそれに代わって成長したけれども、それが限界に来ると、やはりGMSをやっていた企業そのものが、マイカルにしろ長崎屋にしろ、消えていくという流れですよね。企業と業態とは一体だった。業態自体を、プロダクト・ライフサイクルのようなイメージで次々に開発し、取り替えていくという発想は、これまではなかった。

宮副 いままではそうだったと思います。

小村 まったく新しい業態とまではいかなくても、業態を科学的にファインチューニングするというレベルでも使えますよね。それを信念だけでやってしまったので、ダイエーのハイパーはダメだったし、マイカルのサティ、ビブレというのも、結局はお金の使い過ぎで失敗した。これまでは、科学的な分析といえば、POSデータ、商品を軸にしたデータでそれをやってきた。次の段階ではやはり顧客データを使わないと、もうファインチューニングでさえも難しくなってきているという印象です。


エージェント・ビジネスへの展開

宮副 そしてもう一つ。顧客データがきちんとデータベースの形で整理されていけば、顧客一人ひとりの全生活をずっと追いかけていくビジネスが可能になる。モノを売るだけではなくて、レジャーとか金融サービスとかも含めて、会員ビジネスのようなビジネスモデルが見えてくる。それはもう小売業ではなくなるのかもしれません。

小村 金融ビジネスでもそうですが、巨額の資産を持った人に対象を絞れば、サービスに見合っただけの対価は取れます。しかし、そのサービスをより多くの人々、資産規模の大きくない人々に対しても提供しようとすると、コストを削減することが必要になる。そのためには、どうしてもサービス提供をオートメーション化することが必要だったわけです。CRMの方向性の一つが、それとオーバーラップしてくる。

宮副 そういうチャンスは食の分野にもあるし、ファッションにもインテリアにもある。いろいろなところに芽があるのですが、いずれにしても、その原点には顧客データを収集、整理するというところがあるわけですが、いま、小売りよりもほかの産業の企業が、顧客からダイレクトに情報をとって、それを活かそうという意欲が強いように感じています。

小村 小売り以外というのは外食とかサービスとかですか。

宮副 いえ、主としてメーカーですね。小売業は日常的に消費者に接しているので、かえって顧客情報が資産だという認識は薄いのかもしれません。逆に、一部のメーカーの方が顧客データを資産として認識している。ソニーやトヨタは、ビジネス・ポートフォリオの関係からも、次のビジネスを考えるにあたって、顧客を意識した戦略をとっています。ベースとなる顧客に対して、車なら車、エンターテインメントならエンターテインメントのソリューションという枠組みで何ができるのかを考えています。その前段階として、顧客データを直接つかめる仕組みを導入している。それに鉄道ですね、JRとか。そういう企業の方が、しっかり顧客情報というものを意識しはじめている。そうした小売り以外の企業も含めて、顧客にいろいろな価値提供をしていくということになると、いま、流通再編とかいわれているけれども、何年後かのリテールのトップはトヨタ、あるいはソニーになっているという可能性もある。


産業の枠組みの変容と商社の可能性

小村 いま挙げられたメーカー二社は、異業種の金融ビジネス参入でトップを切った企業です。これに小売りからのイトーヨーカ堂が加わるわけですが、やはりそれは偶然ではないと思います。消費者に相対していこうとするときに、金融サービスというのは重要なキーファクターになる。JRも、既にICカードの大規模な実用化に成功しており、これも大きなファクターになり得ます。商品を仕入れて店に並べるというのは一つのファンクションに過ぎなくなる。流通チャネルの川上とか川下とかいうとらえ方で、ここまでがメーカー、ここからは小売りというような切り分けは、意味がなくなるのかもしれません。

宮副 どれだけの顧客資産、顧客データを持っているのかというところが重要で、それを起点にいろいろな事業がデザインされる可能性は高い。顧客基盤と、それを情報として整理した顧客データベースを、経営資源としてもっと意識するべきです。そして、そこからのリターンをどうやって得ていくのか、どうやって収益化するか。それがビジネスモデルということになる。

小村 そうなると、それぞれの企業のアイデンティティというのでしょうか、うちは小売業であるとか、もっと細かく、うちはスーパーだとか、うちは百貨店だとかいっていても意味がなくなってくる。私たちのような研究者の立場でも、分析の視角を大幅に変えることが必要になるでしょう。

宮副 いま、いろいろな商社が小売業に進出していますが、多くの場合、経営まで入り込んでいて、その小売業の企業と同じように、顧客データを分析できる立場になっているわけです。となると、商社はさらに幅広い視点から、新しいビジネスを開発する機会がたくさんあると思うんです。いますぐにそれが可能かはわかりませんが、可能だとはっきりしたときには、顧客データベースを資産として持っている小売業は、企業価値すなわち株価が上がっていて、もう買収できない。だからいま、低く評価されているうちに買っておこうという考え方は十分理解できる。相当な先物買いとして。

小村 確かに、先ほどおっしゃった発展段階での展開力は商社の方が強力だと思います。事業領域の広さからいって。とはいっても、顧客データベースを整備するのは、ただコンビニを買えばできる話では決してない。

宮副 一番の問題はそこですね。有効な分析ができるのか。その分析を基に手が打てるのか。一度その部分が突破されると、そこからの動きは意外と早いのかなという気もしますが、そこまではまだまだほど遠いという印象です。


経営戦略としてのCRMへ

小村 そういう意味でCRMというのは、極めて大きな広がりというか、潜在的な可能性を秘めたコンセプトなわけですが、CRMという言葉自体は妙に手あかがついてしまっている。加えてそのためのツールがあるがゆえに、それを導入すれば達成という理解になってしまっている。CRMに限らずSCMでもBVM(ブランド・ヴァリュー・マネジメント)、KM(ナレッジ・マネジメント)でもそうですが、これら全部に共通する「M」、「マネジメント」、これを日本語にしたときに、例えばカスタマー・リレーションシップ・マネジメントは「顧客との関係に軸足を置いた企業経営」と読むこともできる。ですが、これを「顧客との関係の管理・運営」と読んでしまうと、もっと限定的な理解をされてしまいかねない。ですので、CRMをやりましょうという呼びかけよりも、もっと別の呼びかけ方があるのではないかという気がします。

宮副 なるほど。さっき言ったようにCRMにはいろいろなゴールがあって、サービス収益モデルになるためにCRMをやろうというゴールもあれば、コラボレーションのビジネスを広げようとか、多角化のために顧客構造の実態を明確にするというのもゴールになる。顧客データをマネジメントするのは通過点でしかない。ただ、顧客情報資産を軸に企業戦略を描こうとしている企業はほとんどない。

小村 むしろ企業経営の中のごく一部、経営というよりも管理、あるいは運用という意味で、CRM、SCMを狭義にとらえる方が一般的になっている。

宮副 以前、CRMのeビジネス的な側面を強調してeCRMという言葉を使っていたことがあります。そのとき、ある百貨店の社長さんが、「eCRMのeというのはエンタープライズのeですか」とおっしゃったんです。当時の認識とは違うのですが、これは実はCRMの本質をとらえている。エンタープライズCRM、企業丸ごとのCRMという発想。これを提唱していこうと思うと、小村さんがおっしゃるように、広義のCRMという意味で、何か新しい言葉を作らないといけないのかもしれません。

小村 広義のCRM、取りあえずいまはそう呼んでおきますが、それが現実のものになって、消費のレベルが上がっていく、消費者の満足度が上がっていく。そういう方向で産業全体が育っていかないと、いまの消費市場の閉塞感は払拭できないかもしれません。その意味で、国民経済の視点からもCRMの今後に注目していく必要がありそうです。本日は長時間、ありがとうございました。


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