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読売isペリジー 2011年10月発行号掲載
連載「経済、最初の一歩」第8回
震災後の日本

 2011年3月11日、東日本を襲った巨大な地震と津波は、2万近い人命を奪い、数十万の人々から日常の暮らしを失わせるとともに、深刻な原発事故を引き起こし、被災地のみならず日本全国で、電力の供給不安を生じさせました。震災後の日本では、復旧、復興の動きと並行して、社会、経済のさまざまな領域で、震災を契機とした変化が生じてきています。今回は、そうした変化の方向性を考えてみます。


底流は効率から安全への修正

 震災を契機に日本で進みはじめた変化の底流にあるのは、一般の家庭や企業、政府が、効率優先で組み立てていた従来の暮らしや事業を、安全にも十分に配慮したものに修正しようとする動きです。元来、効率と安全とは、一方を重視すると他方が犠牲になる、二律背反の関係にあります。たとえば、防災、防犯のために、仕事に使う道具や書類を厳重に保管していると、それを使う際には、いちいち手間をかけて取り出さなくてはならず、作業の効率は低下します。また、災害時にも安全なように設備を頑丈に作ると、コストがかかって経営面での効率が悪化します。災害対応のためのスタッフを普段から雇ったり、部材の供給が途絶えるのに備えて多めに在庫したりするのも同様です。
 効率を優先して、そうした非常時への備えを省略してしまうと、いざ事故や災害が起きたときに困ることになります。ですが、ガチガチに安全だけを考えていたのでは、効率が悪くなり過ぎて、経営が成り立たなくなってしまいます。要は、効率と安全の間の、どこでバランスを取るのかという問題なのです。震災前の日本の企業や政府は、景気や税収が低迷するなかで、効率を追求するあまり、本来必要であった災害への備えまでも削ってしまっていました。震災後に起きている変化は、効率の側に寄り過ぎて崩れていたバランスを、安全の側に修正する動きと言えるでしょう。今回の震災が、従来の想定を大きく上回る桁外れのものであったことも、修正を迫る要因となっています。
 修正の具体的な動きとしては、まずは、家庭では防災用品や非常食の確保、企業では部品や素材の在庫の積み増しが進められています。また、住宅や工場、店舗、オフィス、学校や交通機関など、あらゆる建築物の耐震性能の確認と向上も動きはじめています。また、個々の家庭、企業の取り組みだけでなく、地域全体の視点からも、施設などのハード面と、住民同士の連携の強化などのソフト面の双方から、災害に強い地域づくりを目指す動きも広がっています。震災後の日本では、こうした安全を求める思いや行動が重なることで、大きな変化が生じているのです。


エネルギー構造の転換

 人々や企業の安全への傾斜がもたらす大きな変化が最も鮮明になっているのがエネルギーの分野です。震災前には、二酸化炭素を排出しない原子力は、低炭素時代の主力エネルギー源として、さらに拡充していく計画になっていました。しかし、震災で深刻な事故を起こしてしまったことで、拡充どころか縮小、さらには廃止までが議論されるようになってしまいました。現実問題として、定期点検で順次停止されていく原発が再稼動されなければ、2012年の春にも、日本中の原発が停止してしまうことになります。再稼動には地元の自治体や都道府県の承認が必要ですが、それが得られる見込みは薄く、事実上の脱・原発が早々に実現してしまう可能性が生じているのです。
 ただ、原発を止めてしまうと、当面は天然ガスや石油、石炭といった化石燃料への依存を高めざるを得ません。しかし、世界的な供給不安や価格高騰の可能性を勘案すると、中長期的に化石燃料に依存することには無理があります。そのため、将来的には、太陽光、風力、地熱、バイオマスといった再生可能エネルギーの拡充と、生産・消費両面でのエネルギー効率の改善と無駄の排除による省エネルギーを進めていくことがコンセンサスになってきています。当面は最低限の原発と化石燃料の消費増でつないでおいて、将来は再生可能エネルギーと省エネによって、安全で安定的なエネルギー構造を実現しようという図式です。これは簡単ではありませんが、これからの日本にとって重要なチャレンジと言えるでしょう。


企業活動の海外移転の加速

 二つ目の大きな変化としては、企業活動の海外移転の加速が挙げられます。企業活動の海外移転、取り分け新興国にシフトする動きは、震災以前から、国内における人件費や地代などのコスト高と市場の停滞に、それと対照的な新興国市場の急成長、さらには円高の定着や政治不信といった要因が加わって、持続的な趨勢になっていました。それが、震災を経験したことで、すべてを失うリスクを回避するために事業拠点を分散させようという動きが重なって、一段と加速しつつあるのです。
 企業活動の海外移転は、企業にとってはリスク回避とコスト削減のための合理的な判断と言えますが、日本経済全体にとっては、短期的には雇用の減少、長期的には国内の人的資源と技術基盤の劣化といった悪影響が予想されるため、「産業の空洞化」という表現で、今後の大きな不安材料と認識されています。とはいえ、それが企業の合理的な判断によるものである以上、海外移転の趨勢を食い止めることは困難です。むしろ、海外移転を前提に、出て行く企業の穴を埋める形で、新たな産業と技術基盤の育成、強化を図ることが現実的で前向きな対応策と言えるでしょう。


東京一極集中の是正

 大きな変化としてもう一つ考えられるのは、東京への一極集中の是正です。人口や経済活動、企業の本社機能、行政機能が極端に集中している東京が大きな災害に見舞われた場合に想定される被害の甚大さは、以前から指摘されてきました。ですが、平時においては、人口にしても経済活動にしても、特定の地域に集約されている方が効率的であり、それを分散させるとなると、それにともなう障害もコストもきわめて巨大なものとなります。そのため従来は、この問題については、認識はされていても手の打ちようがないということで放置されてきたのです。
 ですが、今回の震災で、東京自体も、強い地震に加えて交通網の混乱や断続的な停電を経験し、問題の深刻さが改めて浮き彫りになったことで、そこに何らかの動きが起こる可能性が生じてきました。それが人口の分散にまで進むことは考え難いのですが、企業活動や行政サービスが全面的にストップすることを回避するため、企業の本社機能や政府の行政機能を首都圏以外の地域に分散させることは、既に検討されています。この動きは、問題の大きさからすると、ごく小さなものに過ぎませんが、一極集中の強力な流れを変える第一歩となる可能性もあるでしょう。


復興の先に

 ここで挙げたエネルギー構造の転換や、産業の空洞化を前提とした新産業・新技術の育成、東京一極集中の是正といった課題は、いずれも震災以前から日本が抱えていたものであり、それが震災を経て顕在化、先鋭化したわけです。それらへの対応は、喫緊の課題である被災地の復旧や被災者の生活の再建と並行して進めていく必要があります。そのほかにも、少子高齢化への対応や財政再建など、日本はたくさんの課題を抱えています。震災直後には、日本人のモラルの高さや逆境に耐える強靭さが世界的にも注目されましたが、山積する課題を乗り越えていけるかどうか、日本の底力が試されています。


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