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読売ADリポートojo 2002年9月号掲載
「経済を読み解く」第29回
「X月危機説」台頭の背景−焦点は株式市場から預金者の動向へ−

危機説のシナリオ

 このところ、「3月危機」とか「9月危機」といった表現を目にすることが増えた。当初は週刊誌や夕刊紙で見かける程度であったが、最近では、一般紙や経済紙に登場するケースも増えている。その背景としては、近年の日本経済が慢性的な病気にかかった状態で、ちょっとでも調子が悪くなると、すぐに「危機」という言葉が浮かんでくるような時代だったことがあげられる。加えて、日本経済の最大の弱点がどこにあるかが、はっきりしてきた。銀行経営の行き詰まりと、金融システムの機能不全である。「X月危機説」の多くは、その弱点から経済が崩壊するシナリオを描いてきた。
 まず、銀行の決算期近くに株価が下落する。銀行が自己資本比率を維持するために貸し出しを絞る結果、企業倒産が増え、銀行の不良資産拡大と株価下落が加速する。それがさらなる貸し出しの圧縮につながる。このプロセスがスパイラル的に進行して、日本経済は崩壊する。
 このシナリオでは、銀行の決算がポイントとなるため、危機説の多くは、銀行の本決算と中間決算のある3月説と9月説に集中している。しかし、危機説のシナリオは、銀行の決算を受けて動きだすわけではない。むしろ、決算をにらんだ銀行の動き、さらには、それを織り込もうとする株式市場の動揺が端緒となる。それは予測や見込みに基づく動きであり、場合によっては、悲観的な思い込みが先走りして株価を下落させ、危機シナリオを始動させてしまう可能性をはらんでいる。危機説の台頭それ自体が、危機を現実のものとしかねないのである。


なぜ現実化しなかったのか

 これまでのところ、X月危機は現実化せず、取りざたされては消えていっている。その理由としては、株式市場のプレーヤーが主として国内外の機関投資家だということがあげられる。彼らは、危機の可能性を認識していても、それを完全に回避することはできない。危機回避のために下手に持ち株を売ろうとすれば、それをきっかけに相場が崩れ、売り切れなかった部分で大きな損失を被る可能性が高いからだ。彼らプロの投資家は、容易に危機説に踊らされるわけにはいかないのである。
 しかし、大きな危険要素が残っている。海外のヘッジファンドなど、日本の株式を保有していない巨大投資グループが、株の空売りを大量に仕掛けてくる可能性である。株の空売りとは、株を所有者から一定期間借りてその株を売り、期間後に買い戻して所有者に返す手法だ。その期間中に、その株式の価格が上昇していれば、その分が損失になるが、株価が下落していればもうけになる。空売りを大量に浴びせ、市場の不安感をあおり、株価の下落を誘う手法もある。いわゆる「売り崩し」である。
 今年の3月には、その懸念がきわめて大きくなった。既に年中行事ともなった従来同様の3月危機説の要素に加えて、定期預金だけとはいえペイオフ凍結を解除するという不安材料を抱えていたからだ。
 政府は、空売りに対する規制を強化することで、この懸念をつぶした。これは、市場メカニズムを阻害する行為であり、日本の経済政策に対する不信感を高めることにもなった。しかしこの政策は、情けない話ではあるが、日本経済の病巣に対して根本的な治療策を打ち出せない現在の政権にできる、精一杯の「その場しのぎ」だったと評価できる。


ペイオフ本格解禁が焦点に

 株式市場発の危機シナリオに加えて、もう一つの危機シナリオが、ここにきて改めて注目を集めている。2003年4月に予定されているペイオフの本格解禁を不安視しての預金流出で、銀行と企業の資金繰りが連鎖的に破綻するというシナリオだ。ペイオフ本格解禁が予定通りなら、次回の3月危機説は、このシナリオに基づいた、従来とはまったく異質なものとなる。
 預金市場発の危機の恐ろしさは、預金者に預金引き出しをためらわせる合理的な材料がほとんどないという点にある。株を手放すのとは大きく違う。預金を引き出すだけであれば、たとえ危機が起こらなくても大きく損をすることはない。定期預金の場合には利息が減るが、今の金利水準からすれば微々たる額であろう。手続きなどは多少面倒だが、人より早く預金を下ろすことで、ペイオフのリスクは簡単に回避できるわけだ。
 もちろんそれは個人にとってのリスク回避であって、誰もが預金を引き出せば、銀行の資金繰りが破綻する。それこそが、経済全体にとっての危機である。個人にとって合理的なリスク回避行動が、経済全体の危機を招くことになる。「合成の誤謬」と呼ばれる現象だ。
 ペイオフ本格解禁に際して、人々が普通に賢く、合理的に行動する場合には、自分の預金を守ろうとする動きが広がり、危機が現実になる可能性が高まってくる。しかし、日本人が大変に賢ければ、だれもが経済全体のことを考えて冷静に行動し、危機は起こらないだろう。あるいは、過去の危機説がいずれもはずれたことで、ペイオフ本格解禁のタイミングをとらえた危機説も「狼少年」扱いされ、聞き流されてしまえば、それはそれで、問題クリアとなる。
 とはいえ、「今度ばかりは」という一抹の不安がぬぐいきれない。ここにきて、ペイオフ本格解禁がまたしても実質先送りになる気配が濃厚になってきているのもそのためだ。夏場に入って経済の先行きが怪しくなってきたことも不安をあおる。ペイオフ本格解禁が予定通りに実施されるのであれば、狼少年になるのを覚悟のうえで、あえて言おう。次の3月は、相当やばい。


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■再浮上した成熟化の問題
(The World Compass 2005年4月号掲載)


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